01/11/08

7サイクルの残存と文化交流の途絶1

なお、仏教にも、死後初7日ごとに繰り返して7×7=49日までと言う考えがありますが、これはどういう因果?でこうなったのか分からないのですが、上記同様に、仏教あるいは、お釈迦様以前のころには、まだ惑星が重要な意味を持っていると思われていた時代だったからではないでしょうか?

古代の偉人については、超能力的に何もかもその人の功績に帰するような記述が多いのですが、何か研究したり、学問に関係することがあれば直ぐに分かるように不世出の大学者であっても、当時の水準をホンのちょっと一歩だけ抜きん出ていたに過ぎないことが分かるものです。

孔孟やお釈迦様も、当時の水準からかなり抜きん出ていたとしても、あるいは普通のノーベル賞受賞者の水準をはるかに超えていたとしても、その教えがすべて、お釈迦様や孔孟の創造にかかるものとはいえないでしょう。

この七サイクルの考えは、仏教成立時の初めからあるのか、後世の付け加えなのかすらも私にはよく分からないのですが、以上の前提で考えると、仮に初めからあったとしても、ひとつには、お釈迦様の生まれるずっと前から、ご存知のように、いろんな宗派修行僧があって、その1宗派として釈迦の教えが広まったのですから、(この点はユダヤとキリストの関係と同じです)釈迦が何もかも創作したのでは無く多くは先人の当時の常識的知識を受け入れていたでしょうから、お釈迦様の創作によるものとはいえないし、また逆にいえば、後世の人がつけ加えた・・それも日本だけの習慣?・・教えかもしれないのです。

以上のように、私に言わせれば、惑星の研究と地球上の時間周期とは、関係のないことが比較的短期間で分かった筈で、オリエント・西洋では数を数える基準としては、全く使われなくなったのでしょうが、中国では最後までこの7サイクルの変形である五行説にこだわる思想が連綿として続きます。

惑星発見後、これになにか意味があると信じて一時期7サイクルや5サイクルの思想が生まれ、中国やインドに広がりましたが、そのころはまだペルシャの文物が世界中に伝播している時代だったからだと言うのが私の仮説です。

その後、当時先進文化の中心であった古代ペルシャが、アレキサンダーによって滅ぼされ、その直後にはマケドニア王国の崩壊で、オリエント地方の先進的文化や思想が中国地方やインド方面へ行かなくなったから、その後のことが分からずにそれぞれの行き着いた地方で、その地域の文化発展レベルに応じて、独自に考えているうちに変な方向へ進んでしまい、中国の五行説から陰陽五行説になり、インド仏教の7日サイクルになったのではないでしょうか?

 



関連ページリンク

Powered by msearch
稲垣法律事務所:コラム:検索

検索ベースはこちらから

 


コラムTOP

リンクを当コラムにはられる方はお読み下さい

©2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design / Maintained by Pear Computing LLC



ブログ
株式投資