01/10/08

天文の発達5と形而上学の発展6(7サイクルの価値1)

ところで、人類が時間の経過を理解するようになったきっかけは、これまで書いているように日没と日の出の繰り返し、月の満ち欠けの繰り返し、太陽周期の繰り返しによる年単位の気候変動の繰り返しなどの循環にあるのです。

この複線的手段として、落葉樹の新芽の吹き出しから落葉までの変化、1年性植物の種から始まり、種に戻る循環・・人間を含めた動物の生死の繰り返しも当然視野に入っていたでしょう。

物事には必ず繰り返し・周期があるという根本理解が、仏教の輪廻思想に繋がるのでしょうし、キリストの復活信仰、中国では遺伝子による継承・・儒教の祭祀・社稷承継の思想に繋がるのでしょう。

落葉樹を見ても、永遠に繰り返すのではなく、繰り返しにも一定の限度・寿命があることも理解されていきます。

ところで数を数える方法ですが、01/08/08「天文の発達3と形而上学の発展(10干12支)3」で紹介したように、殷代の甲骨文字では12支よりも先に10干・・甲乙丙丁〜壬癸の旬日・・・10日毎の紀日法が書かれていたようですから、同時期ころ西洋・中東地域で考え出された7日サイクル4週間で約一ヶ月よりは、10日サイクル3回で一ヶ月の中国の方が、合理的だったのです。

西洋というか中東から地中海世界では、・・・生活習慣の違いが原因でしょうが、何故7サイクルが基準になったのか不思議です。

そう言えば、ローマ数字・・TUVWの始まりは、羊の出入を数える便宜から、木にスジを付けることから始まったといわれています。

筮竹やそろばんでもそうですが、古代から数字を数えるのに算木を用いるのが簡単ですが、多分算木に年号や月や日にちを数える基準として、中国では、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸と書いて10日(旬)ごとに一束にくくって繰り返していたのでしょう。

農耕とは言え、ゲルマンは牧畜との混合社会でしたから、これに関係していたことが、7日周期を何か必要としていたのでしょうか?

中央アジアの交易を基準とした世界では、砂漠をラクダなどで一息で移動できる期間が5〜6日が限度で、7日くらいで一回休息を取る必要があったのかもしれません。

また、海路の場合も、風の具合を見て出帆するのですが、せいぜい予測がつくのは、5〜6日が限度であったことも関係があったかもしれません。

それとも、ガレ−船で知られる奴隷労働の発達が一定周期の休息を必要としていたからでしょうか?

日本や東洋の農業社会では、奴隷とか奴婢といってもローマやアメリカの黒人奴隷のように、牛馬同様にこき使う・・人間扱いしない奴隷ではありません。

工場労働の前身とも言うべき、ローマ時代のガレー船の漕ぎ手のような奴隷制であれば、一定期間ごとの機械的休息は不可欠ですが、自発的作業に頼る農業や漁業社会では、一定時間ごとの機械的な休息はむしろ邪魔で、農繁期などやるときはやる、臨機応変の労働と休息の方が良いのです



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