01/08/08
天文の発達3と形而上学の発展(10干12支)3
そこで現実世界との折り合いをつけるには、10干12支の組み合わせ方式・・・甲には子、(きのえね)乙には丑、丙には寅と言う割り当て・・セット形式にしていけば、最後の2支・・戌と亥が残ってしまう勘定ですから、これが順次ズレていく仕組みにすれば、12と10の最大公約数である60で元に戻る(2ヶ月単位です)仕組みを考案したのです。
これを年に応用すれば60年先まで決められますし、月に応用すれば60ヶ月、何にでも応用が利くと言う次第です。
この60の単位は12進法の変形で、結構利用価値が高く、細かくは今でも60分や60秒などに、利用されています。
こうした数字の発達と抽象思考の発達は、誰でも気になる目に見える穀物収穫周期の基準だけでなく、人間の寿命・・を周期とするスパーンをも意識するようになってきて、生きている意味なども気になり始めた哲学的思考が進んだころに開発されたものでしょう。
植物や気候の周期を考えているうちに、当然自分達人間の周期・寿命も気になってきたでしょうから、60年周期の数え方は、人間寿命の観察に合わせて生まれてきた理屈ではないでしょうか?
このころには、農作業の実利のために始まった天文の観察から離れて、抽象的思考が発達するようになり、天文学を基礎に人生のありようを考える時代が来ています。
その思考規準に木火土金水の物質の作用と10干12支の数字の組み合わせで対応したのが中国の思想家だったと言えるでしょう。
これは結局は日月の作用の外を考えたものですから、日月をプラスすると結局は合計7個で西洋のウイークと同じです。
哲学の誕生です。
陰陽五行説は戦国時代に唱えられて、その後に広まった考えで、殷の時代からすると大分時間が経っているのです。
いずれにせよ、こうした数の概念が気になりだしたころから、目前の現象を観察するだけでなく、かなり技術的というか抽象的思考が発達した・・あるいはしていたということでしょう。
ちなみに10干の文字は、既に殷代(紀元前1600〜1046)の甲骨文字から出ているようですが、文字が生まれるには、かなりの抽象的概念・・思考が必要ですから、平行して数の概念もかなり発達していたということではないでしょうか?
これに加えて12の数字の命名・・子丑寅〜戌亥までの発明によって、何千年の繰り返しにも耐えられようになり、新暦にいたるまでの数千年間東洋では紀年法の基礎になるのです。
壬申の乱(大海人皇子の決起)とか戊戌(清朝末期の反革命)の政変などといえば、きっちりした西暦年との対応が分かるのです。
変などといえば、きっちりした西暦年との対応が分かるのです。
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