01/06/08
農耕社会化と天文の発達2(光の重要性)
漢字が出たついでに言いますと「歳」も同じような意味で、「歩+戊」で種まきから手鎌で稲を刈り取るまでの期間を表すそうです。
古代では日月の推移・・長期にわたる時の流れを知ることと穀物の収穫が如何に関係が深かったかを知ることが出来ます。
歳については、後に考案された歳星紀年法の関係で、歳の意味が変ってきますので、もう一度書きます。
農耕社会が始まり、穀物の種まきから収穫周期を基準に時間の経過を考えるようになってくると、植物の成長に重要な働きをする太陽・・日照時間の重要性に気づきます。
この段階が、ローマ暦の春の始まり・・・・3月の適当な日を1年の始まりと宣言したころでしょう。
それまでは、むしろ夜の方が脅威であり、長く感じたので月の満ち欠けや月の動きに早くから気づいたのでしょう。
こうして、太陽の力・日照時間を観察すれば、まず1日の日の出と日没、真ん中の日の高いときが分かるでしょうし、季節変動と年単位の周期も気になってきます。
こうして1年で1番日照の短い日と長い日とが最初に分かるようになって、月の周期よりも長い1年の観念が生まれてきて、太陽の動きと月の関係の観察も細かくなってきます。
次には春分秋分の関係がわかり、太陰暦による周期と太陽の周期とが合わないことも分かってきて太陰太陽暦に修正されてきたのです。
この辺までは洋の東西を問わず同じ経過です。
大きくて目に付く太陽や月だけでなく、太陽や月と他の星の運行との関係も気になってきて、天文が発達してくると、ギリシャ神話で知られる星座に関する多様な物語も生まれるし、中国では七夕の話も出来てくるのです。
以前書きましたが、中国人はどうもロマン的な想像力に欠けるところがある印象ですから、ギリシャ神話の多様性に比べると牽牛織女物語程度の物語しか生み出せなかったのでしょう。
これは古代地中海社会は、豊かな森林に覆われていた・・この点はレバノン杉などのコラムで紹介しました・・・・ことや、何よりも地中海という当時(その後森林の消滅により魚の少ない海に変化しました)光豊かな豊饒な海に面していたのに対し、中国古代は、メソポタミや文明の通じる西域通商路の終着点の黄河上流域・・高原地帯とで発達したために、荒涼とした風景・・単調な原風景が基点であったことが原因でしょう。
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