01/06/08
農耕の発達と天文の発達1
前回わが国の暦について、輸入歴以前に原始的な暦があった筈ではないか?(そんなことを書いている人はいませんが常識だからでしょうか?)と書きましたが、この辺で人類の時間観念理解の一般的順序・・歴史を考えてみたいと思います。
人類が時の経過を理解した順序・・歴史をたどりますと、人類は空腹や疲れによる時間の経過を最初に知るでしょうが、腹時計や疲れ具合では個体差があって、客観性がありません。
ここで言うのは、客観的・・誰にでも同じ「ときの流れ」を知ったときです。
いわば科学的思考の始まりです。
天文観察の開始こそが、科学の母というべきでしょう。
日のから日没へ太陽の動きを見ることにより、夜は月の移動を知り、時の経過を客観的に理解した最初だったでしょう。
そのうち日没と日の出の繰り返しを通して1日の観念が生まれますが、時間の観念の契機としては太陽も月も同じですから、最初は夜の一日と言う観念もあったのです。
こうした意識について、日本書紀に出ている記事を引用して、日本で夜も一日?と数えていたことを、12/31/03 「大晦日2(日本書紀・・かがなべて・・・・)」のコラムで紹介したことがあります。
もう少し長い期間の観念として、月の満ち欠けの推移を基準にした月単位の長さ・・周期に気づくのです。
そこで、暦としてはまず、日没日の出の回数と月の運行・・周期を基準とする太陰暦が最初に成立したものでしょうが、すぐに・・・と言っても千年単位の期間が必要だったように思いますが・・もっと長い期間である1年の単位に気づきます。
穀物の栽培収穫をするようになると、月単位以上の期間を超えた季節変動・・・春夏秋冬の太陽光の差を知りますし、ひいては年単位の繰り返し・・周期があることに実用面から気づかざるを得ないのです。
それでも、最初は穀物の種まきからら収穫間での期間だけが重要ですから、先ずその期間に気づくのです。
ちなみに「年」と言う漢字は、「禾+人」から出来ていて、稲がじっとり熟す期間・・稔るという意味・・稔(「とし」とも読むのはそういう訳です)から始まったもので、殷の時代の1穀物期を現すものです。
現在の12ヶ月ではなく、春から秋までの期間ですが、最初は、事前準備は少なく、新芽が出てから気が付くような時代には、そのサイクルは数カ月とから4〜5ヶ月のことだったでしょう。
さらに言いますと歴史や暦の雁垂れの中の上の部分は、今では林のようですが、元は禾がきっちりと並んだ状態を表し、暦はその下に日が来るので、毎日をきっちり並べた状態・・今のカレンダーを意味するものです。
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