01/05/08
わが国の暦の歴史2(宣命歴から貞享暦へ)
輸入暦の始まりが記録されているだけで、その前にわが国独自の暦・・時間の観念がなかったと言うのは無茶でしょう。
ただ、あまりにも稚拙な自然観察に基づく原始的暦だったので、先進的な暦が入ってきて霧消してしまったというだけではないでしょうか。
(文字がないので分かり難いだけです)
中国の大きな家をまねて、奈良の都を造ったからと言って、それまで日本には家がなかったと言うわけではありません。
これからの研究で、輸入以前の稚拙な暦の原型が発見されるかもしれません。
以下、輸入歴の歴史に入りますと、さらに推古朝,持統朝と次々と改良版が中国から入って来ては変更していたのですが、唐から宣明暦が入って以降、この暦が江戸時代の綱吉(1680年将軍宣下直後)まで約823年間も施行されていた最長寿命の暦だったらしいのです。
ですから、奈良時代から平安初期までの歴法はショッチュウ変っていたので、当時の時間などを安易に旧暦として理解するのは誤りです。
江戸時代にはいると、社会の安定・・学問の興隆によって、単なる輸入だけでなく独自に天文を研究するようになってきて、わが国独自の研究により初めて国産の暦・・渋川春海の創設になる貞享暦が生まれます。
これは、貞享2年(1685)からの施行です。
そして彼こそは、日本地図を作成した伊能忠敬の入門で有名な幕府天文方の初代総裁?責任者でした。
ところで、彼の本職・・世襲職は、幕府囲碁方であったというのですが、囲碁の星勘定・・星を読む職業の人が当時盛んになった和算の方で天文の星の運行を読んでいたのですから面白いものです。
今で言えば、将棋や碁のプロがパソコンを利用して研究しているうちに、コンピュータに詳しくなって思わぬ発明発見をするようなものでしょうか?
この貞享暦も少しづつ改良を加えられ、寛政暦、法暦と改良されていきますが、その改良版の最後である天保暦(1884年弘化元年)が明治5年まで採用されていたのです。
現在一般に「旧暦であれば・・・・」といっているのは、幕末から明治初年に掛けて約10年間使用されていた天保暦を基準にしているのです。
以上のように旧暦といっても、江戸時代の後期100年間だけでもかなり変っていますので、古い時代を一括りに理解するのは間違いの元ですが、新暦と旧暦のように1ヶ月以上も変るわけではないので、おおよそのところの理解としては便宜使っているのです。
この天保段階で、わが国の暦は、東洋の太陰太陽暦では、最も精密なものになっていたらしいのですが、太陰と太陽不合致を修正する仕組み自体に無理があるので、単純な太陽暦に切り替えることになったのが、明治の改暦・・現行暦です。
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