01/04/08

明治の改暦と社会の混乱1

ちなみにユリウス暦は、紀元前45年にシーザーによって採用されたものであることから、この名称になっているのですが、これもその後かなり改革され続けていたのです。

これが現行のグレゴリオ暦(これもユリウス暦の改良暦の1種でした)に代り始めたのは、1582年にグレゴリウス13世が制定した以降、徐々に西洋諸国に広まったものです。(この間西洋諸国も太陰太陽暦でした)

これはカトリック国であるイタリア、スペイン、ポルトガルでは同年に採用されましたが、その他の国でもカトリック系の強い国・・フランスあるいはスペインの支配下にあったネーデルランド地方では早いなど宗教の関係で大きな違いが出ます。

たとえば、ドイツのプロテスタント諸都市は、1700年、イギリスは、ようやく1752年の切り替えですし、ギリシャ正教会系はもっと遅れるのです。

ロシア革命がグレゴリオ暦の3月に起きたのに、2月革命と言われるのは、正教会の影響下の暦を採用していたからです。

正教会がグレゴリオ暦を使用したのは、1923年でした。

世界中のグレゴリオ暦採用の時間差を見てきましたが、この間、と言わず現在でも、科学技術・・天文学の発達は目覚しいものがあったのですから、1月1日を冬至の翌日にしようとする国が何故現れなかったのかというのが、昨年大晦日以来の疑問です。

ちなみに、アジアでは、日本が1番早く1873年、朝鮮が1896年、中国が1912年です。

世界中でグレゴリオ暦が合理的だと分かっていても、簡単にいかなかったのは単なる宗教対立だけではなく、実際的な理由もあったでしょう。

明治5年12月3日を明治6年1月1日とするについては、実は大変なことだった筈です。

太陰暦は、農作業中心であるかぎりその方が合理的でしたが、では農作業中心から商工業中心になるとどうかと言うと、その切り替えが却って大変になるのです。

明治の改暦の年は、太陰太陽歴では2〜3年に1回ある誤差調整のための閏月・・13ヶ月の年でしたから、この改暦の結果年末の給与2か月分が消えてなくなったのです。

今なら年金の記録洩れどころか積極的な詐欺みたいなもので、政権の転覆・・収拾が着かないはずです。

ここが良く分からないのですが、私が考えるには給与を払わずに得したのは12月の3日分だけのような気するのですが、問題はそこにあるのではありません。

政府の財政的には、年度制ですから、1財政年度に13回給与を払わねばならなかったところが11回で済んだので、予算上辻褄があったという意味であって、国民にとっては3日分損しただけでしょう。

(もしかしたら年末賞与・・・・餅代が昔もあったとしたら、これを貰い損ねたでしょうか?)

 



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