01/03/08
元旦とは?2(暦の歴史2)
ついでに太陰太陽暦・・旧暦の時代になると、2月初めがお正月ですが、これは最も寒くなる時期を基点にした考え方でしょう。
こう言う比較で見ると農耕を基準にして冬至後3ヶ月「無」の時間を設定していた改良前のローマ暦よりは、旧正月のある太陰暦・・これもローマ暦です・・の時代にはもう少し人間の活動時期が進んでから生まれたような感じです。
ローマ暦の終わりころには、秋の収穫のあとでも冬の準備をしたり、春が近づけば農作業の準備をしたりして、人間が活動する・・あるいは活動させるべき時代が来ていたからでしょう。
ローマ暦も太陽の運行との調整で徐々に改良されて、終わりころには割りに正確な太陰太陽暦となり、その時々に権力者が宣言して1年の初日が決まるのではなく、旧暦の1月1日が固定されるようになっていたのです。
こうしてみると正確な改良の歴史が分からないだけで、この間にいろんな「何とか改良暦」が存在している筈ですが、今ではよく分からないのでシーザー以前の暦をまとめてローマ暦と言っているだけのことでしょう。
日本でも旧暦は何回も改良されているのですが、今ではまとめて旧暦と言われているのと同じです。
ただし、太陰暦は基本的に農作業用目的のカレンダーですから、2月初めの1番寒い日の翌日を1年の初日にするのは、それはそれで一貫していたのです。
しかし、これが実際の寒さを基準にしない太陽暦のユリウス暦以降、太陽暦の1月1日・・固定した日が新年になったのに、太陰太陽暦より約1か月冬至に近づけただけで、厳密な冬至の時期に一致させなかったのは、何故か?というのが、大晦日以来の疑問です。
正確に冬至を測定できなかったからでしょうか?
それでも、当初のローマ暦よりは、2ヶ月あまり、太陰暦よりは1ヶ月あまりも近づいたのですから、大したもので、当時としては画期的だったのでしょう。
今のゴルフで言えば、ホールインワンまで行かなくとも、ホールの近く・・グリーンまで進んだというところでしょうか?
前回冒頭で少し書きましたが、ローマ暦とかユリウス暦といってもショッチュウ改革されていて、ローマ暦の終わりのころには、トップが適当に1年の始まりを宣言するのではなく、1年の始まりは1月1日に固定され、収穫の終わった後の11月、12月も追加されて、1年は12ヶ月になっていました。
(もちろんこれは太陰暦ですから、1月1日と言っても新暦の2月初めでした)
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