01/02/08
行事の変化4(儀礼から休日へ2)
そうは言っても天皇誕生日をズラス・・明治節であった文化の日をズラスなどと提案したら、右翼が怒るでしょうから、この種の祝日をズラセルようになるのは、100年以上先かもしれません。
この関連でもありますが、成人の日が早くなるなど、年末年始の生活習慣がすべて前へ前へと進んでいる感じです。
平成以降に天皇誕生日の休日が年末に出来たこともあって、年末の休暇も前に繰り上がって来ているのです。
(平成になってから、今年で既に20年目です)大晦日に書きましたが、我が家の年末年始の旅行はもう20年以上前昭和年代から、年末に実施しているのです。
そう言えば、「松の内」が現実的であったころには、役所の御用納めの後に民間はまだ働いていましたので、仕事の打ち上げは、30〜31日が中小零細では普通でした。
これは、私の実体験によるものです。
大企業のホワイトカラー族でも忘年会は27〜28日ころが主流でしたが、徐々に22〜3日ころに繰り上がり、最近では12月初旬〜中旬が中心になってきました。
農業中心の時代でも、年末の打ち上げは、農業とは離れた職業・・武士町人階層・・冬の寒さに関係が無くなってきた階層から、1年間の慰労として雇い主が一杯飲ませることから始まったものでしょう。
忘年会なるものは、主従関係・奉公制度があって、1年間の慰労的意味と、キリスト教の罪滅ぼし的思考の輸入と引っ掛けて、過ぎ去った1年の穢れをさっぱり忘れようというもので盛んになったもので、言うならばクリスマスを楽しむのと根は同じです。
年始の挨拶の習俗も、主従関係から始まったもので、自営の農業者には関係がないのですから、年末の打ち上げと正月の行事は農業に基礎を置きながら、実は農業に直接関係のない宮廷などから始まったものでした。
主従関係・・自営業者が減って勤務・サラリーマン層が広がった高度成長期以降忘年会や正月の行事が派手になったのはこうした背景があったからでしょう。
これがまた一通り過ぎて、労働者・サラリーマンが私的生活では上司と関係が薄れてきて年末・年始の挨拶がなくなってきたのです。
今では親元から離れた子世代が、親を訪問するぐらいが年末年始の行事?の中心でしょう。
こうして、行事らしい行事も無くなり、年末休暇が早まってクリスマスと合体連動してきますと、行事の中心がイベント性の高いクリスマスに移行していくのは仕方のない現象となったのです。
京都の祇園祭りで先祭りと後祭りがあって、後祭りは次第に盛り上がりに欠けるようになったのと同じでしょう。
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