01/02/08
行事の変化3(儀礼から休日へ1)
明治以降は石炭等のエネルギーの発達のお陰と肉食の導入で、寒中の過ごし方が楽になったころでしたから、新暦になって正月が約1ヶ月早くなりましたが、江戸時代に発達した儀礼的行事がそのまま新暦でもつつがなくやれたのです。
言うならば、春の行事の始まりが早くなっても、ちょうど対応できる時代に改暦したといえるでしょう。
1月1日の歴史を見ると、ローマの初めころには、現在の3月が新年の始まりであったのですが、前700年代にJanuary と Februaryが追加されるなど、徐々に早くなってきたことが分かります。
太陽の運行を時間や期間の基準にすれば、元旦は現在の冬至の翌日が正確でしょうし、その理屈だけならば、古代から太陰太陽暦が成立していたこと以上は、その大分前から分かっていたはずですが、人類の生活能力からしていろんな行事を春から始めるしかなかったのです。
明治に入っても、人口構成の中心は飽くまで農業従事者が殆どでしたし、しかも1月中は寒くって何も仕事の出来ない時代が続いたのです。
まだ寒くって働けないという農業者の気持ちだけ借りて、経済負担に耐えられる都市住民が着物を着たりおいしいものを食べたり、松の内を楽しむ方向へ続いたのです。
この傾向は、昭和50年代ころまで続き、各種節句行事も同じ理由で華美になる一方でした。
これが、都市生活者の方が人口の大部分を占めるばかりか、石油文明のお陰で、誰もが暖房を楽しみ、農業ですら温室栽培が普通になってくると大寒の最中でも休んでいられません。
こうして農業に基礎を置く各種行事も実態的裏づけを欠いて久しくなると、さすがに誰もやらなくなってきたということでしょう。
こうして、商人も元旦以外は店を開くし、いつの間にか松の内は15日から7日に縮小し、祝日も本来は15日を基準に小正月・・宿下がりを前提に決まっていた成人の日も、もう何年も前から繰り上がって、15日以前の日曜日に連動するように変わりました。
このように、各種の祝日が日曜と重なる場合には、ズラスことがはやっていますが、これを安直だと非難しているだけでは勉強不足というべきでしょう。
これらは、これまであちこちで書いているように、各種行事・・お祭りその他・・国民の祝日というものは、元は農作業を中心に決まってきたものですから、国民の生活習慣が農作業中心から3交代勤務に始まって金融取引・・デイトレーダーなど細かく変ってきた以上は意味づけも変ってくるのは当然です。
都市労働者の方が多くなった現在では、労働者の休日を取るための便宜にあわせて、祝日をズラスのは現在的意味があるのです。
昔は、約半年間働けない期間の刺激剤としていろんな行事がセットされていたのですが、今では1年中切れ目なしに働く時代ですから、労働に対する休日を如何に確保するかという正反対の視点に変わったのです。
ですから、せっかくのお盆休みや正月休みにレジャーを楽しみ、海外へ出かけるのは、罰当たりでも何でもありません。
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