01/31/07
特許法2と著作権法2
特許権が出願から20年しか保護されないのに対して、著作権が死亡後50年と言うのは、ものすごい時間差です。
特許は、社会発展の技術的基礎になるので、あまり長く保護すると社会発展の阻害要因・・老害が起きます。
これに対し、夏目漱石の著作やプレスリーなどが、長く保護されたからと言って、社会発展に別にどうって影響がないでしょう。
特許は、そのものズバリの利用でなくともその特許を利用して次の科学技術が発明されても、その部分に使われている限り、特許料をとれるので(世知辛いのです)、あまりいつまでも保護しすぎると次世代技術の阻害要因になってきます。
文学作品や音楽・絵画などの場合でも、先人の技法や思想の上に乗っかって更に創作するのが、普通ですが、そんなうるさいことを言いません。
特許は公開するのと引き換えに特許料を保障して社会の発展を図る仕組みですが、あまり長く保障し過ぎても社会発展に阻害的に働く問題もあるので、その期間設定が微妙なのです。
インテルやマイクロソフトの特許料が高すぎて、これを利用するパソコンが高止まりしてしまい、売れ行きが停滞していると世上言われているのを見ても分かるでしょう。
いずれにせよ、個人の努力による成果の最たるものである著作権や特許権でさえ、期間限定が現在世界の主流的思想です。
資源を作り出すことに、何らの寄与も、努力もしていないのに、その土地に住んでいたと言うだけのことで、資源に対する権利だけが、無期限永久にその土地の支配者の権利として存続するという思想自体がおかしいでしょう。
この点に関しては、民法での所有権の永久性についても、少しは書く必要があるでしょうが、その部分は、民法の所有権のコラムで機会があれば書くことにしましょう。
ここで関連するのは、領土支配と言うのは、土地所有権に関する権利の延長概念として発達してきたので、資源支配権も無期限な印象で来たのではないかと言うことです。
ただ、次のコラムで書きますが、地下資源に対する権利は、古くから、(秀吉や信玄の時代から)土地所有権とは切り離されて来たのです。
そういう資源=国家主権と言う思想自体が、本来は世間の常識に反しているのですが、たまたま、帝国主義時代の流れの中で、その反作用として民族主義と結合して認知されて来ただけの話だったに過ぎません。
時代的意義が消滅した後も、そのまま生き残っていることが間違いなのです。
特許や著作権・知財については、又別に機会があれば書くことにして、資源問題に戻ります。
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