01/23/07

憲法196(違憲立法審査権と巨悪の放置1)公憤とは?

公正に反すると言うのは、どこでどのように自分が損しているかわからないが、どこかで損しているような気がすると言うことの代名詞でしょう。
世の中での公憤・義憤と言うのは、実は自分の直接の損害と関係が遠いものの、自分が何らかの損をしているのではないか・・・しそうだと言うことが背景にあるものです。
電車の暴力を見過ごしたり、空き巣を見つけたら直ぐにけいさつに通報しなくとも、直ぐに自分に損は来ないが、「社会全体の治安が乱れるといつか自分も被害者になる」と言うおぼろげな不安が根底にあるからです。
ですから、日本のように自分に直接の損さえなければ何も言ってはいけない・・主張も出来ない社会・・積極的に公憤や義憤を抑圧する仕組みでは、結果的に社会正義が守られない・・・違法行為が蔓延してしまうでしょう。
日本のように、自分の直接損害しか請求出来ない仕組みですと、社会全体では、巨額の損害があってもさしあたり自分が被害者でない場合や、自分の被害が少額である場合、誰も訴えることができません。
結果的に強くて悪いものが、不法な利益を領得しっ放しになる・・正義が守られない社会になってしまうのです。
これを防ぐために、政府がしっかり監視してやる・・例えば、不二家が期限切れの牛乳など使っているかどうかを保健所が監視する・・というのがこれまでの日本のやり方でした。
しかし、政府の監視ばかりに頼っているのでは、政府機関が膨張するばかりですし、国民にとっても窮屈すぎますし、政府・権力にコネの利くものばかりが得をしてしまいます。
こういう社会であるから、権力寄りのオール与党病が蔓延してくるのです。
これ自体大きな不正義ですから、本当に社会不正を断罪するのに有効なのは、アメリカで発達しているクラス・アクションや、懲罰的賠償制度でしょう。
日本では、懲罰賠償制度もないし、憲法裁判所もないと言うことで、巨悪が放置されやすい仕組みなのです。
懲罰的賠償制度については、04/11/02「消費者問題と懲罰的賠償」で、クラス・アクションについては
04/14/02「クラス・アクションとは?」その他各所で紹介して来ました。



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