01/14/07

国債発行と国民戦争3(国債発行と革命政府の責任)

こうした慣習法が成立した原因の一つには、革命と言っても、当時は原則として市民革命ばかりでしたから、革命を起こして政権を獲得した議会派の政権に変わったからといっても、議会は国債をもともと保証していたのですから、そのまま支払うのが本来だったから、そうした慣習が定着しただけでしょう。
そのうちに、議会が保証していたかどうかではなく、国家の同一性だけで責任を追及できるようになったのは、一つには債権国・列強に有利な仕組みだからです。
たとえば、中国やトルコのような東洋の専制君主国では、議会がありませんので、議会保証などあるべくもないのですが、辛亥革命であれ、何であれ、その後継政権には責任を取って貰えれば債権国には有利です。
他方で、これを拒否すると日本やドイツ程度の普通の大国でも、国際経済から切りはなされては自給できません。
それに、生まれたばかりの革命政権は、国内的は反対勢力をまだまだ抱えているのが普通ですし、まだ経済的基盤その他一切が弱体ですので、列強・債権国から、早期に承認をしてもらい緊急融資をしてほしいのが普通ですので、このルールには従わざるを得ない面があったのです。
あるいは、外国勢力の介入を防ぐためにも、わが国の戦国時代でいえば「本領安堵のお墨付き」と同じで、従来の既得権はそのまま認めますというしかない面もあったでしょう。
もちろん日本でも、徳川から明治政府になったといってもその前の条約関係・・約束事は全部引き継がざるを得なかったのです。
ロシア革命では、議会派と王党派の争い・・市民革命ではなく、社会革命であって、議会の保証については知らないよ!と言う理屈で、これを踏み倒したままになったので、共産主義だからと言う理由だけでなく国際経済社会から長い間のけものにされてました。
(フランスは、ロシアと一番仲の良かった・・・露仏協商の時代にロシア革命が起きたのでした・・その分貸付金が大きかったのに、債権回収が出来ないので、ソ連に対する国家としての承認が一番遅くなったのですから、皮肉です。)
たまたまソ連は、大きな国だったので、それでも自給できたのですが、ソ連崩壊後結局現在のロシアが払うことで国際債権国会議と折れ合いが着いたと記憶しています。
(ソ連の分だけだったか?今になると、記憶ははっきりしませんので悪しからず・・。)
こうしたことから、もともとロシア革命は、本来の意味の革命ではなく、国民大多数であった農民の支持を受けていなかった軍事クー・デ・ターでしかなかったのですから、借金の踏み倒し目的だったのではないかとすら言われていたものです。
ロシア革命での国民の支持関係については、03/15/06「ロシア革命と中華人民共和国の成立1(前衛とは?)」で少し紹介しました。



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