01/14/07
国債発行と国民戦争2
国債の共同発行形式が、イギリスで始ったのは、国民国家の成立・・国をあげて外国と戦う姿勢の始まりと言う視点からみると、かなり意味があったと言えるでしょう。
中世で王様の発行するファンド・・私募債は、(殆どが戦争債でしたが、)当時国家財産と王様の個人財産の分離が行なわれていなかったことによるのです。
ですから、王様個人が破産・・デフォルト宣言すると、それ以上誰にも追及できません。
これが議会保証の「国債」になるとその政権が倒れても、革命政権(多くは議会派です)でもこれを引き継ぐ義務があるので大違いです。
イギリスでは、税金は議会の承認がないと簡単に取れないし、(権利の請願のコラムで紹介しました・参照)かと言って、議会を無視して王様が私募債でやろうとしても信用が低くなりすぎて、独自発行すると引き受け手がなくなり、経済的に発行が出来なくなったのです。
そこで、議会の保証を取り付けないと発行できなくなったことから、現在世界中の国で発行している国債制度が始ったのですが、このことは、イギリスの王様が自分勝手な戦争をすると資金の調達を出来なくなるのが、よそよりも早かった・・・王様の力がよその国より弱かったともいえます。
その代わり議会が保証してくれた国債ならば、外国資本でさえも取りはぐれがないと言うことで国債を買ってくれるので、資金調達上すごく有利になったともいえます。
ここで言いたいのは、戦争ファンドに議会保証が発達すると言うことは、議会・・裾野の広い国民が、その戦争で負けたら一緒に借金を払うことになったのですから、戦争の結果に国民の多くが関係するようになったということです。
比ゆ的に言えば、多くの人に関係がないから、騎士や王様が勝手に戦争していた時代から、多くの人に結果責任を負わせるようにした結果、その被害を受ける多くの人から見れば、議会の保証した戦争を王様がやり始めた以上は、その戦争を支持せざるを得ない構図に変ったのです。
そうなると、逆の方からみると、多くの人に利害のある戦争しか議会が保証しませんから、王様が勝手な戦争を出来なくなりますが、その代わり、議会の保証を得てやるとなれば、イギリスでは、国民一丸となった戦争を出来るように早くからなっていたともいえるのです。
何が幸いするか分からないのが、人生であり歴史です。
こうして、政府発行と言うか議会承認の国債は、その後イギリスだけでなく世界中で利用されるようになって現在に至っています。
国債の信用を高めるためにか?政権の交代どころか、革命政府でも債務の引継ぎは免れないと言う国際経済ルールが次第に定着して行きました。
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