01/13/07

世界平和18(戦争の原因14・・講和条約の重要性2)

ナポレオンは、冬将軍に負けたことだけが強調されますが、ロシアに攻め込んだときには、相手に逃げられてしまって、講和のチャンスを逃したために泥沼にはまってしまったのです。
英仏100年戦争も、講和のない戦争でしたから、結局遠征軍であるイギリスが負けてしまって、この戦いでイギリスは、父祖の地である大陸に足場を失ってしまったのです。
ご承知のとおり、イギリスはフランスのノルマンデイ公が征服したものですし、その家系が途絶えた後も王妃などはフランスから来ていて、王族はフランスに滞在したままでした。
有名な、リチャード獅子心王の母は、アキテーヌ女公と言われたフランスの大領主で、その受け継いだ領地に関心が強くて殆どフランスにいたままでした。
ついでに言うと、当時のイギリスの王族は、フランス語しか話せなかったとも言います。
洋の東西を問わず、どこでも、異民族による無期限・全面占領形式は、無理があるのです。
歴代漢民族と匈奴との戦い、西域方面への進出でも、じわじわと版図を広げて行く方式で、いきなり大規模に版図を広げるやり方はとっていません。
モンゴルが長途の遠征に成功したのは、自分自身が交易・遊牧民であった外、征服相手も主として中央アジアからイランなど遊牧民が中心だったからでしょう
中国本土や朝鮮半島の攻略に成功したのも、中国が数日前から書いているように、農耕民自体の個人所有が発達しない専制君主制であった面が大きいのではないでしょうか?
朝鮮半島も、20世紀初頭の日韓併合まで専制君主制でした。
あるいは、そのまた前提には、基本的には中国は黄河流域に発達した商業国家であったからとも言えるでしょう。
中国が、商業都市国家から始ったことは、03/04/06「商から農への転換9・・・中国の場合1」前後で連載しました。
戦争が国民と関係ない動機で行なわれていたことを紹介するうちに、賠償金・・講和会議必要性の話になってしまいました。
今で言うところの「戦争ファンド」みたいなことさえあったとも言われますが、(私が想像しているだけかもしれませんが・・・?)こうした金儲け?のための戦争をしている内に、次第にお互いの賠償金支払能力が落ちてきたので、戦争商売のうまみがなくなってきたのです。
ところで、フィリッペ2世は3回も破産していると言われますが、これは歴史や文学の本で書いているだけで法律の本ではないので、破産の本当の意味がわかりません。
当時破産と言う言葉を現在に当てはめて、どのような効力をもっていたのか?今のところ私には、具体的にわかりません。
現在イメージするところの破産ではなく、近年ではアルゼンチンがやったようなデフォルト宣言したと言う程度の意味ではないでしょうか?



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