01/12/07

世界平和16(戦争の原因12・・賠償金4)日清戦争2

以上のように西洋では、戦争に出かければ賠償金を獲得して帰らねば財政が持たない状況から、賠償金制度が発達したのですが、日本が日清戦争をしたときも同様に、財政難でした。
日本が戦争して賠償金を貰ったのは、日清戦争が最初でしたが、明治維新当初から政府財政は火の車だったのです。
明治政府は、給与支払いをまぬがれるために、太陽暦に切り替えたくらい苦しんでいたことを、12/31/03「大晦日3 (太陰暦から太陽暦へ)」のコラムで紹介したことがあります。
こういう苦しい状態で、日清戦争で、清朝に勝ったとしても、ただ勝った場所の占領を続けていたのでは、逆に国力が持たなかったでしょう。
日本ではまったく経験のなかった西洋伝来の適時の(タイムリーな)講和条約の仕組みが、日本を救ったのです。
こうした展開になったのは、西洋列強の代理戦争的な要素があったからでした。
このときは、清朝も火の車でしたから、そんな大金がある訳がないので、本当はまとまらない話でしたが、欧米列強が清朝に賠償金を融資する根回しが出来ていたので、賠償交渉が成立したのです。
列強のほうはこの機会に清朝に大金を貸し込んで、その恩義で次の利権を獲得しようとする思惑があったのでしょう。
一種の出来レ−スだったのです。
歴史の本では、3国干渉による遼東半島の返還など、マイナス材料ばかり書きますが、世界のパワーゲームとしてみれば、英米と組む日本に対し、ロシアやフランスが反対するのは仕方がなかったのです。
結果的には、世界最強のイギリスと組んでいたおかげで、占領した遼東半島を返したけれども巨額の賠償金を得た外に、占領していなかった台湾とその周辺の島々まで獲得できたのですから、戦後処理としてもできすぎでした。



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