01/09/07
世界平和11(戦争の原因5・・王様の戦争5)戦闘員の専門化1
中世以降個人所有が発達してくると、折角何代にもわたって土地の手入れをして、作物が実るようにして来た土地を棄てて、知らない所へ行きたい農民など出る訳が有りません。
今でも事業に失敗したもの、失業者・あるいはこれに類する、まだ職業についていない新卒など・・結局は現在定職についていない求職中の者しか、原則としてそういうことはしないものです。
ましてや、定住民族性の代表である農民においておや!と言うところでしょう。
西洋から新大陸への移民も、01/04/07「戦争の非合理的契機(十字軍の本質1)掠奪戦争一」以下のコラムで紹介しましたが、人あまりの時代だからこそ、出来たことでした。
共通項は、人口政策の失敗でしょうか?
明治政府の人口政策の失敗が、第二次世界大戦の元凶であったと言う考えを、11/17/06「人口政策と家督相続制度2」前後で連載しています。
以上長くなりましたが、農業社会化の完成したアジアでも西洋中世でも、王様や武士がする戦争(領地獲得であれ、王位継承であれ、同じです)は、一般国民・殆ど農民です・・には関係のない戦争だったのです。
古代社会形成前における、移動の簡単な範囲内の農業や漁業などの適地の奪い合いの段階では、戦争は氏族などの集団全員に利害があったでしょう。
古代には、例えば鴎外の山椒太夫の小説にあるように(小説ですから本当かどうかは分かりませんが・・・)、一種の企業従業員みたいな労働力だったのですから、いくらでも新田開発や占領地に従って移動していけたのです。
ちなみに古代の労働力を奴婢と称しますが、アメリカ黒人奴隷のイメージで奴隷を観念すると誤ります。
古代の奴婢は貴重な労働力であって、とても大事にされたようです。
中東のオスマンやセルジュックトルコでも奴隷もたいしたもので、王様になった奴隷もいるそうです。
史上アメリカの国人奴隷だけが、非人間的な扱いを受けたに過ぎません。
話を戦争に戻しますと、耕作適地の獲得運動が一定地域の限界まで広がり、後は大きな山脈や海・砂漠を越えて行かねばならないところまで来た段階で、一般農民や漁民の利害から戦争は離れて来たのです。
古代では氏族集団が一丸として、一つの利害のもとで戦争していたのに対し、農業社会化の広がりが一段落して領域が固定して、民族が形成されて来たと言うことは、とりもなおさず、おおきな集団そのものの流動化が止まったと言うことです。
この段階から、それぞれが安定した領域内で、落ち着いた生活が始り、民族・・それぞれの文化というものが形成されたのでしょう。
それだけに、集団全体の浮沈にかかわる戦闘が少なくなってきたことを、意味するのです。
すなわち、みんなが戦闘に参加する必要がなくなった・・・安定社会が、戦闘員の専門化を進めてきたのです。
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