01/09/07

世界平和9(戦争の原因3・・武士・王様の戦争3)

しかし、利根川の両岸だから、文化圏が別だった筈と言うのではなく、車・動力の発達するまで・・・・古代から明治まで、人やモノの移動は、水上交通・・・水運が主体でしたから、同じ川の水系・・川の両岸が一体として発達して来たのです。
皆さんの故郷の城下町のありようを思い出して下されば分かりますが、大きな山脈が国境(くにざかい)であって、川の両側は、同じ文化圏だったのです。
こうした考えについては、05/28/05「千葉の歴史16(川の機能変遷1)」以下で連載しました。
陸上輸送が発達して、川の機能が人を隔てるものに変ったので、今のような行政区画割りは合理的なのかもしれませんが、地域の歴史を見るときには、間違いが起きる可能性がありますので気をつける必要があるでしょう。
利根川をはさんだ?相馬の御厨(みくりや)の権益争いの仲裁能力の関係で、千葉氏が平氏でありながら、源氏に味方するようになった経緯を、09/19/04「源平争乱の意義4(貴種と立憲君主政治3)」のコラムで紹介しました。
話を農民と戦争に戻しますと、戦国時代になっても同様で、上杉が勝とうが武田が勝とうが、信長が勝とうが、地元農民が飛び地の耕作を出来るわけがないので、自分の耕作地が増えるわけではないので、彼らには、その勝敗はトンと関係がなかったのです。
また戦争の結果、支配者は入れ替われるのですが、現に耕作している農民まで入れ替えることなどは、どこの世界でも不可能でした。
これに似た無茶をやったのが、満蒙開拓団だったでしょう。
(ずばり、直接武力で追い出したのではないので、「似た無茶」と表現しているのです)
このように、農業社会の完成した時代では、戦争の結果に関係する国民は、ほんの一部だったのです。
その上、農業社会では、戦争して勝っても奪うべき物・・動産がないのです。
遊牧民・モンゴルでは、勝っても支配地を持ち帰ることは出来ませんが、羊などの動産を奪えたので、掠奪目的の戦争がいつまでも続いたのです。
農業社会では、土地こそ命・・・奪い合いの対象となるべきものですが、土地は持ち帰れません。
羊に該当する農民をそのまま奪えればいいのですが、人間の方は異民族には簡単に従いません。
ヒマラヤや、アルプス、ピレネーなど大きな山脈や沙漠・さらには大きな海で隔てられるまで、農業社会化が広まり、そこで一旦同一化運動を休憩した段階が、古代の国・・異民族の始まりでしょう。
千年単位で安定した生活をしているうちに、それぞれの生活習慣や言葉が異別に定着していき、これが異民族・・・異文化圏に分かれたのです。



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