01/06/07

仏教と世界平和3(非武装中立論1)

お坊さんは、お寺に泥棒が入ってきても腕力で撃退するよりは、説教を試みるのが普通のありようでした。
(自力防衛のために僧兵を擁したのは、仏教の基本思想から言えば邪道でしょう。)
ところで、弱肉強食の我が国の戦国時代にも、殆どのお寺は武装することなくそれなりの地位を保ってこられた経験を、世界政治・・世界の平和にも応用できるのでしょうか?
非武装中立で安泰を保てたのは、わが国では、非武装のお寺や神社を襲うような人道?に反したことを出来ないと言う暗黙の了解・・共通の宗教精神があったからでしょう。
その上、国内の戦争の場合には、仏教徒同士の戦争ですから、お寺がどちらか一方に肩入れしない限り、お寺には手を出さないのが普通でした。
(越前朝倉に味方した叡山の焼き討ちや、武田家に肩入れした恵林寺などがその例外的事例です。)
それに、泥棒が入っても、火をつけられても、お寺そのものを乗っ取られるわけではなく、被害発生後に、地域信者の寄進で復活できる保障もあるから泰然としていられるのです。
お寺の盗難や火災被害は、結局地域全体で復興費用を負担する・・地域被害に帰するのですから、加害者が同じ地域・お寺の商圏の範囲内出身者の場合には、文字通り天に唾する行為となります。
バレレば、地域ののけ者・・非人扱いされる関係です。
泥棒したりお寺の品物を破壊した者の親兄弟や親族、友人など身近なものが、お寺の復興費用を負担する関係では、自分の悪事が露見しなくとも、内心忸怩たるものがあるでしょう。
こういう社会では、だれも見ていないと言っても、「いや、天が見ている」と言う名言が生まれるのでしょう。
こうした行為を「罰(ばち)当たり奴!」と非難するだけで、充分な非行抑制力になっていたのです。
ことは宗教心が扱ったか薄くなったかの問題ではなく、公道半径の問題だったのです。
移動手段が歩行中心の時代には、泥棒・・乱暴者もその行動半径内のものに限られます。
一定の行動半径内では、同じお寺や境界の信者分布と同じ・・・・同じお寺や神社の影響力の範囲内・・・犯罪者も地元出身の泥棒・・乱暴者中心ですから、無防備なお寺やおやしろに侵入し、あるいは暴力を振るう不心得者が出なかっただけです。



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