01/06/07
戦争の合理的原因4(商業神と商圏の争い2)
これに対し、商圏の争い・・掠奪戦争となると初めから小競り合いではすみません。
古代から黄河流域で発達した商業都市国家であった中国では、春秋戦国時代と言われるの長い戦乱が絶えませんでした。
漢帝国の確立で国内統一が終わると、今度は、武帝による西域への版図拡大がおこなわれます。
これは、当時の主要流通路であったシルクロードの交易路の確保が目的だったのです。
その後のモンゴル帝国の興隆・・大規模遠征も、平成19年1月3日・・・・3「商業神と商圏の争い1(イスラム・キリスト教的平和2)」で紹介したとおり、交易を求めるものでした。
また、中東から西洋の古代でも、ペルシャ〜ギリシャ〜ローマでも大規模な戦争が絶えなかったのは、商圏の争いであったからでした。
たとえば、マラソンの起源でもあるペルシャ対ギリシャ都市国家連合の戦争や、ローマ時代に有名なカルタゴとのポエニ戦争を想起しても良いでしょう。
全ては商圏を巡る戦争でした。
アレキサンダー大王の大遠征も、農業社会的発想では何のためにそんな無駄なことをするのかというところですが、商圏の拡大運動として捉えれば、分かりよいのです。
ちなみに、古代社会・・都市国家は商業から始まったと言う、私の歴史認識については、09/09/05「商業と農業の先後関係6」前後で、連載しました。
勿論、一定の農業の発展があって、その後集落・都市が生まれるのですが、都市国家あるいは戦争単位と言っても良いでしょうか、そうした単位が生まれたのは、交易の必要性からである・・と言う意味です。
商業国家のギリシャ〜西ローマ帝国が滅びて、西洋中世では、農業社会化した経過・・キリスト教の農業化についても、03/03/06「商から農への転換7・・・西洋の場合3(キリスト教の多神教化)」前後で書いて来ました。
農業時代が安定してきますと、耕地適地の奪い合いも商圏の争いも有りませんから、域内の小競り合い的な戦争と、内部勢力争い・・跡目争い・・王位継承戦争程度しか起こりませんでした。
西洋よりも早く、商業社会の復活を果たしたイスラム社会(農耕地としては貧弱だったからです)では、先に商圏の拡大を目指して、西洋社会への攻勢を掛けてきました。
これが、地中海のアフリカ側を通って、イベリア半島に至るイスラム浸透の背景でした。
安定した農業社会だった西洋も中世末には、傭兵の発達に見るように、ペスト禍後の人口過剰が大きな原因で海外植民が盛んになっていきます。
その人口圧力の一環・・前哨戦として、今度は西洋のほうから十字軍遠征などになっていったのです。
今回のアメリカ・イラク戦争も、その終局過程(石油利権獲得の思惑)で起きたものではないか?と言う疑いを多くの人が持っているのも(少なくとも私は持っています)こうした考えの延長です。
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