01/05/07
戦争の合理的原因3(農業社会の戦争3)
大和朝廷成立以後は、稲作化していなかった東国の征伐・・水耕農地の獲得拡大運動を時々していたにすぎないと見ることが出来るでしょう。
(ヤマトタケルノミコトの神話の世界です。)
この東漸・・水耕地域の拡大は、古代に東国と呼ばれていた濃尾平野から関東へは若干北上しますので、関東に達するまではかなり期間がかかりました。
さらに関東以北では、まともに北上の関係ですので、気候の変動と稲作技術の向上を待つ必要があったので緩やかでした。
明治維新の屯田兵によって、戦後北海道が稲作地域になるまで続くのです。
以後、古代社会での蘇我・物部氏の争いから壬申の乱で収まる戦乱、その後の武家同士の幾多の戦いは、外部に向かうものではなく、内部の非合理的なヘゲモニー争いでしかなかったのです。
勿論、改革派守旧派とかの路線対立など、いろいろな区分けが可能ですが、ここで書いているのは、異民族との戦争の原因です。
これは、農業化の完成した、西洋中世の騎士や王様の域内での戦争と同様で、日本古代同様にそれぞれ細かく見れば理由はありますが、大きな流れとして経済活動発展の必然から発生したものではなかったのです。
権益の奪い合いの争いであって、やくざの縄張り争いの出入り同様で、一般人には関係のない戦争でしたから、武士同士がいくら戦争していても、国民は大して迷惑を受けなかったのです。
日本の戦国時代には、むしろ飛躍的に生産性があがっていたとも言われていますが、天下が麻の如く乱れていた戦乱の時代とは言うものの、如何に一般人に関係がなかったかがわかるでしょう。
あるスポーツで、しょっちゅうチャンピオンが入れ替わる戦国時代と言っても、国民の生活に何ら関係がないのと同じようなものでしょう。
農業社会として安定していた近世のアジアで、農地の連続しない海を越えて、あるいは大きな山脈を越えて戦争が起こらなかったのは、そういう背景で見るべきでしょう。
あるいは、日本だけでなく中国、朝鮮揃って採用していた鎖国政策も、農業社会化の結果と見るべきでしょう。
ちなみに鎖国については、これまで何回も書いていますが、相応の貿易をしていたのですから、権力が応援するような大規模な商業・・貿易重視政策をとらなかった・・管理貿易だったと言う程度の意味で、ここでは使っています。
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