01/03/07

商業神と商圏の争い1

12/26/05「民族の消長2(生活手段の相違と棲み分け1)」その他で書きましたが、モンゴルでは、外部との交易なしに生きていけない仕組みでした。
要するに、世界中が農業社会化して、生存に必要な物資に関しては、ほぼ自給自足体制になっていたのにもかかわらず、漠北の諸民族に関しては自然環境の厳しさから、生存に不可欠な物資でさえ、交易に頼っていたのが、交易を必須ならしめた原因です。
また、交易路に位置していたので、交易に頼る生活で困ることがなかったこともあって、このような偏った・・ある意味脆弱な民族生活を形成したともいえるでしょう。
交易のない古代にどうしていたかと言うと、生肉を食べていたので問題がなかったのですが、肉を加熱して食べる味をしめたことがその大きな原因で、この結果生存に必要なビタミンの補給ができなくなり、輸入のお茶に頼るようになったのです。
これこそが、交易に頼る生活の象徴的なことでしょう。
先進国が、いまや石油なしには、生活ができなくなっているのと似たようなことです。
生きて行く最低栄養素は、どんな動物でも確保しているものですが、これでさえ自給出来ないくらいですから、その他のいろんな分野で、自給体制が出来なかったのです。
日本が食糧自給出来ないのは、人口比の関係で量が足りないだけですが、漠北諸族は、いろんな分野で量でなく質的に不足していたのですから、致命的でした。
人口を減らしても、どうにもならないのです。
モンゴル諸族にとっては、交易は生命線だったのです。
モンゴルの版図拡大の大戦争は、基本的には商圏の拡大・・通商・交易を求めてとめどもなく先へ先へと広がった要素を無視できません。
我が国への来襲も交易を求めて来たことに対して、我が国が拒否したことに始まるのです。
モンゴル族にとっては交易拒否する民族などは、不倶戴天の敵と言う国是・宗教だったでしょう。
元の要求する交易に参加すると言うことは、同時に元の確立した交易秩序に参加する・・今で言えばアメリカの要求する市場経済秩序に参加するのと同じです。
当時の日本は、今でいえば、アメリカ的秩序に従わない北朝鮮みたいな立場でした。
北朝鮮のように、後ろ盾になる中国やロシアはいなかったのですから、客観的にはもっと大変な事態でした。
蒙古襲来を防げたのは、当時の海運技術からすれば大きかった日本海の防壁と元(モンゴル)は陸軍国で、海戦の経験がなかった(そのために朝鮮や中国南方軍の寄せ集めで士気が低かった)ことと、台風と言う幸運によるところが大きかっただけでしょう。



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