01/31/06
しかし近代に入って、貨幣経済の発達が富の蓄積を容易にし、100年分の食い扶持でも、貨幣であれば腐らず保管できる時代が来たのです。
なかんずく最近のコンピューターの発達は、かなりの高齢者に至るまで、大勢の管理者を置かずに巨万の富を自分1人で管理処分できる時代がきてしまったのです。
そのうえ、仮に巨万の富がなくとも引退後死ぬまでの生活保障は、各種年金制度がまかなってくれる時代です。
子や知り合いを頼らずとも、国が責任を持って老後保障してくれる時代が来たのです。
若いときにイザというときがあっても、保険制度や、生活保護で困ることは有りません。
財産管理・処分の手間も、今は株式の売り買いも営業マンが訪問してくる時代ではなく、端末操作で、株式市場の概況を瞬時に知ることができ、瞬時に売りと買いの注文を出せるのです。
勿論、自前で門番や家来を護衛につけている必要がなく、安全に始り各種インフラはすべて国・公共団体がやってくれるのです。
金の出し入れも、嫁さんに頼んで銀行に行ってもらう時代ではなく、端末操作で間に合うし、消費もカード決済で間に合う時代が来たのです。
貨幣経済とコンピューター時代の到来が、厄介な管理の必要な使用人付きの組織の維持や、領地の管理から開放してしまったのです。
家事関係もものすごく便利になって、昔なら何人も必要だった家事労働が、家庭電化のおかげで、かなりの高齢者でも1人でこなせるのです。
社会福祉制度の進展が、まかり間違って詐欺集団の餌食になっても、最後は人並みの老後が保障されているのですから、老人もそれ程身構える必要性が有りません。
この方面の公的財産管理システムは、これからさらに発達するでしょうから、この方面でも心配はなくなってきます。
最後の最後は、誰かの世話になるしかないのですが、病院制度の発達が、病院で最後を迎える人の増加となって、何十年も前から死亡直前には肉親に用がなくなっています。
死亡に至らない前の、半年1年あるいはもっと長い老人介護についても、介護の社会化の進展が、老後の身の回りの世話・身内に頼る必要性を極度に薄れさせる要因になってきました。
広域移動で、子供の世代が遠く離れて住んでいる人が多くなったことも一因でしょう。
こうなってくると、何のために相続制度があるのかが、問い直される時代がくるのは必然でしょう。
関連ページリンク
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
