01/29/06
どこの馬の骨論のついでですが、古来から、洋の東西を問わず男系相続制が普通でしたが、実際には、これを一貫するのは無理があったのです。
そこで、西洋では聖母マリヤの処女懐胎に始まって、日本ではどこそこの観音様に籠もっていると子を授かったとか、夢のお告げで子を授かった話がいくらもあります。
今でも、誰でも、どこでも人工授精するわけでなく、資格のある医師・産院に行くように、子を授かるべき公認された一定の場所があって、そこへ行く必要があったのでしょう。
日本では・・昔は神からの授かりものと言う思想から、神様や仏様のいる所がおおかったのでしょう。
言うならば、夫に子種のない場合に、一種の原始的?人工授精が大っぴらに認められていたのです。
豊臣秀吉は、種無しで有名なのですから、淀殿が秀吉の子を産めるわけがないのですが、秀吉のOKで誰かの子を生んだ以上は、秀吉の子として扱う慣習法があったので、誰も当時は問題にしなかったのです。
これを後世(と言っても明治以降に出来た道徳観ですが・・・)の道徳観で本当は、淀君が浮気して生んだ子だと貶める論説をたまに見かけます。
朝鮮の慣習法については、01/17/04「同姓娶らず7(創氏改名)」のコラムで連載しましたが、朝鮮では文字とおり血族・血統中心ですから、元々養子制度は有りません。
戦後日本統治時代期間中の調査をしたところ、日本の養子制度は朝鮮古来の慣習法に反していたために、一件の養子縁組届もなかったらしいですが、日本では朝鮮と違って簡単に養子縁組をして家を継いでいく慣習でした。
どうせ養子を取るならば、藁の上からの他人の子を養子にするよりも、或いは、もっと近くの妻の妹の子や遠い親戚の子よりも、妻の子を我が子として育てる方が、何ぼか確かであると言う意味で、当然重宝されていただけの話です。
逆に「うまず女は去れ」言う習慣は、後を継ぐべき子を産めない女性は意味がない、すなわち跡取を産むのは(誰の子かは別として)女性であると言う意味になるのです。
血統よりも実利と言えば聞こえが悪いですが、実用を重んじるといえばよいのでしょうか、わが国は古来から原理原則にこだわらず柔軟な社会です。
この慣習法を前提に、一旦自分の子と認めれば自分の子でないと否認できないとか、妻が子を産んだのを知ってから、一定期間内に夫が否認しなければならない慣習法が生成し、これを制定法にしたのが、現行法の嫡出否認制度です。
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