01/24/06

貞観の治開元の治1(帝王活躍舞台装置)

ところで、ついでに書きますと、「貞観の治」「開元の治」とかいろんな名君たちが語られますが、その内容はといえば、先帝の豪奢な器物を廃棄して質素に努めた、あるいは孝子を顕彰したというたぐいの話ばかりで、具体的な政策が語られることが滅多に有りません。
そして悪政といえば、酒池肉林のような贅沢三昧や女性関係の乱れの話ばかりです。
文学者としてはそんなことしか思いつかないのでしょうが、貞観の治を考えてみれば、これは太宗の治世の事ですが、彼は、実質的には、唐王朝の創始者ですから、創始者としてのするべき仕事が一杯あった筈です。
これまで書いて来たように、科挙制を踏襲して蝟集した受験生を見て、
     「天下の英雄嚢中に入るか!」
と喜んだといわれます。
このように、太宗の治世は唐の草創期ですから、隋の制度の継承やその他骨格をきめるのに忙しくて一生を終えたのでしょう。
玄宗皇帝の開元の治も考えてみると、「武韋の禍」と言われる長期混乱の収束政権で、実質的に唐王朝の再興政権だったのですから、それなりに忙しかったでしょう。
このように、歴史上「・・・・の治」と言われる名君は、おしなべて、やるべき政治テーマがあって、これに応えられた名君だったのです。
そして暗愚の君といわれる将軍や皇帝は、押しなべて、先君の偉大な業績に押しつぶされて、するべき政治があまりなかっためぐり合わせの悪い人が多いのです。
足利将軍家の義政の例は、01/13/04「中国の歴史観」のコラムで既に紹介しましたが、徳川家でいえば、3代家光のあとは、4代5代とすることがなく、綱吉は儒学にのめりこんでみたり、犬公方になるのです。
その停滞矛盾に大鉈を振るって改革した吉宗のあとも、暗愚の君が続くのは故なしとしないかもしれません。
ルイ太陽王の栄華の後を継いだルイ15世は、イギリスに負けっぱなしでジリ貧でしたし、そのあとを継いだルイ16世は、することがなくて、鍵職人の真似事に精出していたことで知られています。
ついにフランス革命で、断頭台(ギロチン)の露と消えるのです。
実は、彼らも能力さえあれば、する事がいくらでも有ると言えないこともないのですが、自分のおかれた立場、これまでの枠組みではどうしようもないと言うジレンマに苦しむと言ったら良いでしょうか?
よほどの天才的君主でなければ、たまに頑張ると、やればやるほど空回りして、破綻する君主が多いのはそのせいです。
後白河、後醍醐天皇、嘉吉の乱の被害者・足利義教などその例といえるでしょう。
他方で、世上・暇を持て余す人は、概して能力に欠ける人が多いのです。
革命寸前の人でなく、その少し前の人はそれこそ意識的に矛盾を感じるわけでもなく、何となく無為に流れることが多くなるのでしょう。
一定のところまで矛盾が進みますと、既存の枠組みを壊して活躍する人材が出るのですが、その直前には既存枠組みの頂点にいる人は、自分で組織を壊すわけに行かず、どうして良いかわからないのが普通でしょう。
ま、その点では、ソ連の最後の書記長ゴルバチョフとか、徳川最後の将軍慶喜は頑張った方でしょう。



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