01/23/06
殿試に合格すれば、科挙の試験(資格試験)としては、すべて終了し、すぐ進士になれたのですが、実際に官吏の任免をつかさどるのは吏部でしたから、最後に「吏部試」という採用試験を受けなければならなかったのです。
当時は、弁護士のように資格だけで食べていけませんので、官僚に採用されてこそ受験の目的が完成するのです。
(役人以外の職業は、殆どなかったのです。)
これは、戦前の高等文官試験・国家公務員試験に受かっても、財務省に就職できるか経産省その他省庁に就職できるかは、別の採用試験を受けなければならないのと同じです。
この段階でのテスト内容は、高級役人としての風采のあがる人物か、部下に対して荘重な言い回しが出来るかなどの、人物評価が中心だったようです。
ところで、科挙制度の話はこれでおしまいですが、科挙制度は中国の発展を阻害した、或いはこんなに長く続いたから大した制度だという書き方が多いのですが、私は、逆に科挙で人材登用していて間に合う時代が、何故こんなに長く続いたの?とみるのです。
科挙や律令制・あるいは専制君主制は、これを必要とする社会構造の結果であって、制度が社会を規定するものでは有りません。
律令制の説明でも書いて来ましたが、制度が発展を阻害するのではなく、社会が発展していけば、どんなに制度をいじくっても、社会に合わなくなった制度のほうが持たなくなるものなのです。
一つの制度が修正を繰り返しながらでも、長続きし、実効性を保っていたのは、その制度が良かったのではなく、その制度を支える社会構造が基本的に変化しなかった社会・・・すなわち民族の発展が停まっていた証拠と言うべきでしょう。
中国では秦の始皇帝以来の専制君主制の純化・・完成化だけがテーマで辛亥革命まできたので、それを支える科挙制度も修正・純化だけが目標で来たのでしょう。
そこで、何故中国や朝鮮では専制君主制が続いたのに、日本では根付かなかったかの疑問に戻って行きます。
専制君主制については、これまでかなり書いて来ましたし、そこでも少しずつ書いて来ましたが、何故中国や朝鮮でこれが生れ、或いは後生大事に維持されて来たのかのテーマに入っていきましょう。
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