01/20/06
12/08/05・・・2「科挙試験12(会試)と律令体制1」以来、律令制に深入りしましたが、この辺で横道の律令体制は一旦卒業して科挙試験に戻しましょう。
これまで書いているように、律令制を実施するには膨大な官僚機構が必要となります。
計画経済の社会主義体制では、その運用をする官僚機構が膨大なものになったことを、皆さんご存知のとおりです。
科挙の制は、この膨大な官僚の運営をするために、優秀な人材が必要になったのです。
組織が大きくなればトップ部門も半端な人材ではまかなえません。
このために律令制の実施とセットでこれを運用するための官僚登用試験として始まったものですから、当然律令の内容がテスト科目の中心になっていたはずです。
(これを書くつもりで、深入りしてしまったのです)
ただ、歴史物を扱う文学者の書物を知識源にしていると、彼らには行政組織のことは専門外ですから、この律令の内容が理解し難い(と思うのですが、私の偏見かもしれません?)ことから、有名人と言えば、李白や杜甫などの詩人だけしか取り上げませんし、口頭試問で聞かれた内容も試文の才の問答だけが、大きく取り上げられている嫌いがあります。
合格すれば直ちに地方長官などになれたのですから、直ぐに仕事が出来るように実際には律と令の解釈や、具体的事例についての対処方法などが出題された論題の中心だったはずです。
巷間言われているように、儒家の思想や詩文の才能ばかりが試験科目では、長官になった途端に部下から、いろいろな事例を報告されて、決裁を求められてもどうしてよいか、分からなかった筈です。
試験科目の話はこれくらいにして、科挙の順番を紹介していきましょう。
会試に合格すれば、晴れて進士となるわけです。
ただし、会試直前の郷試については、次第に郷試の合格者が多くなって来て試験場に入りきれなくなって来たので、挙人覆試で篩い分けるようになっていました。
会試合格者も増えてきたので、これも会試覆試と言う再試験で振るい分けるようになります。
ちょうど司法試験合格者が、昭和時代に500人だったのに今や3000人も合格させようとするのと同じで、いつの時代にもどこの世界でも、何かと理由をつけて安易に流れるものでしょう。
そのうち司法試験合格者も、一級と2級の篩い分け制度が出来るのかもしれません。
途中このように複試の創設で、受験段階が細かくなって行きますが、そのうえに上乗せして、最後は皇帝が自ら最終試験までやるようになって行きました。
これが殿試と言われるものです。
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