01/18/06

法と律と格違い2(民法148)(悪法は法か?1)

国の決まりを「格」や律でなくて、「法」と言うようになった来歴を前回紹介しましたが、この結果日本では明治以来、「法は本質的に正義であらねばならない」と言う国民の合意があるのです。
それまでの律令などは、「神棚に祭っておけば良いか!」と言う程度ものものでした。
或いは、儒教の武士道徳も、裃を着たときだけ通用する2重規準で生きて来たのです。
今度はみんなが正しいと思う「法」にしたのから、国民は等しく尊重し、守るべきだというのが明治以降の法典の精神です。
ソクラテスの「悪法も法なり」とか、法家(韓非子など)の思想で言う所の形式的「法」の適用論は、いくら読んでも?という感じで、しっくりこない原因です。
或いはシェークスピアのベニスの商人の名場面・・・・・「シャイロックの要求する肉1ポンド」のやり取りは、ポーシャの機転で解決するのですが、ポウシャの機転は、シャイロックと同様に形式解釈をさらに精密化しただけで、同じ発想を基盤とするものですから、実は根が同じなのです。
日本では、こんなシャイロックの主張する約束は
   「公序良俗に反するので、守らなくともいい」
と言う健全な常識があって、仮に裁判になっても、こんな非人道的な約束は、文句なく棄却されるべき性質の問題ですから、訴え出る人さえいないでしょう。
そして、同じ裁判で負けるのでも、「公序良俗に反しているから」と言う理由で負けると、訴えた原告は、「人でなし」の烙印を押されたような印象ですから、安易には訴えられません。
日本では、
    「猫を電子レンジで暖めたら、死んでしまった」
などと言う、非常識な裁判が、日本では全くない理由です。
頼まれた弁護士も慎重に判断し、これは危ないと思う事件は大抵は断ってしまうのです。
そう言う健全な常識のある日本では、シェークスピアを読んでも、
     「何でそんな単純なことが、名作のテーマになるの?」
と疑問をもつ人が(法律家でなくとも)多いでしょう。



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