01/16/06
話が直ぐに横へ行きますが、耒(スキ)の合成語である耕の文字について、もう少し考えて置きましょう。
今でも髪の毛を梳くなど、乱れた髪を梳いて整然とする、あるいは、紙を漉いて、(どろどろした状態から)漉しとってすっきりさせるのが「スク」の本来の用法です。
気分がすぐれないとかすっきりする・・・胸がスク思い等も、「スク」から、発音が変化したものでしょう。
(梳けば、すっきりするのです)
このように見れば、「耒+井」=耕は、土を鋤いて「筋をつけて、農地を整然とする」と言う中国の用法が、今でも本来正しいのでしょう。
中国で田と言えば畠を意味するのに、日本に漢字が伝わったころには殆どが水田だったので、日本では、田は水田を意味するようになったと、12/23/05「水田と畠の違い(男女の立場の基礎)」のコラムで紹介しました。
同じように日本に「耕」が伝わった時点では、農地と言えば殆どが水田ばかりでしたから、田を鋤く・・・田に何らかの力を加える作業と言えば、日本では土の裏返し作業しかなかったのかもしれません。
日本では湿気が多いので、畠でも作物の植え替え時にやる仕事は、先ず土を起して裏返すことが中心ですから、「耕す」と言う言葉に「耕」を当てたのでしょう。
(中国や西域のように、灌漑するどころか日本の畠は水はけの良い土地のほうが、喜ばれるのです。)
12/13/04「地方と観光産業4 (千葉の場合2)冬期湛水水田・不耕起農法2」のコラムで湛水不耕起農法の説明をしたことが有りますが、日本では原則として稲の刈り取りが終わると一旦耕起するものです。
私の小さな庭でも、春秋の花の植え替え時の作業は、先ず土の裏返し作業から始るのです。
このように、日本と中国では耕作・耕地の意味が違うのですが、この違いに気付かずに西洋のカルチャーを「耕す」と翻訳している文書が多いのですが、これは間違いでしょう。
中腰で田返し(耕す)をする農作業方式は、水稲方式の日本から東南アジア、大陸でも中国南部の方式でしかないのですから、西洋の農作業まで「耕す」と翻訳するのは誤りでしょう。
英語の語源辞典がないので、はっきり分かりませんが、少なくとも西洋の畑作では、日本のように中腰で農作業している図は見かけません。
CULTUREまたはドイツ語のKulturは、大地に働きかけて、或いは、自然にあるりんごなどに働きかけてよりよいものを作り上げて行く営みとでも言うべきものでしょう。
或いは、文化とはその結果生れた産物ともいえるでしょう。
ちなみに、切り倒した木から机や家を作るのは、カルチャーとはいいませんので、働きかける相手がこちらの思うように行かない自然や生物であることが必須の条件でしょう。
ようするに、人間と自然界の共同作業とその結果を、カルチャーと言うのかもしれません。
そう言う意味では、親や社会が、子供や市民を教育し育てるのは、今風のカルチャーともいえるでしょうから、カルチャーセンターの命名は間違いではないのでしょう。
いずれにせよ、カルチャーを、単純に「農地を耕すこと」だと翻訳しているのは誤りです。
カルチャーは、「耕すこと」ではなくて、大地或いは果樹など自然界に「働きかける」ことが、カルチャアーなのであって、場所や相手によってその働きかけ・・農作業の仕方が違うのですから、西洋の農作業をすべて「耕す」と翻訳するのは、大雑把過ぎるのです。
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