01/16/06

条里制条坊制

関連しますので、同時に制度的に輸入されたと見られる条里制についてみて置きますと、奈良時代中期までの遺構では、奈良盆地など少ししか見られないようです。
これまで書いて来たように、殆どの地域では、まだ曲がりくねった小さな水田中心だったでしょうから、大きな平野部でないと条里制の実施はできません。
私の依頼者で、印旛沼干拓による大規模水田の推進者がいて、20年程前にそのヒトから聞いたところでは、1町歩単位だったか3町歩か忘れましたが、アメリカに負けない大規模な水田を作るには、かなり厳重な水平面を作る技術が必要で、これが一番難しかったが、やっと解決したと聞いたことがあります。
何しろ、水を張るのですから、おおかた平(たいら)では駄目で、厳密な水平を作る必要があるのです。
さらに、条里を実施するに足る大規模な水田地帯を作り出すには、大規模な測量技術、大規模な水田地帯を潤す大量の水流・・・大きな川をせき止める土木技術の必要性・・・更には1段歩単位の水田を作るに必要な水平面を作り出す先進技術が必要です。
こういうことが出来たのは、先進的渡来人の移民のあった一部地域に限られたことでしょう。
都市計画も同じく、条坊制でしたが、ご存知のように平城京や平安京でしか実施できませんでした。
(それだけの公共工事(区割り工事は大変な作業です)をするには、かなりの財力も必要だったでしょうから、全国一斉にするのは不可能だったでしょう。)
条理と条坊の違いは、都市には里の代わりに坊を用いているうちに、都市区画を表すようになったのではないか?と言うくらいしか、私にはわかりません。
日本では、曲線の都市計画と言うか曲がりくねった道や村落や塀が多いのですが、中国では、直角が好きなようです。
(カーブした農家の生垣も良いですが、尾形光琳のかきつばたなど最高です!)
これは、乾燥した黄土帯で始った中国では、土を四角につき固めて(今でもレンガやタイルは四角形が基本です)、家や城壁を造ってきた歴史があります。
これまで書いているように、日本のように小さな丘陵から沁み出してくる谷津田とか小川の曲がった水流に合わせて、農地(水田)を作り出す社会ではなかったことから、好きなように農地を分割出来た経験によるのでしょう。



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