01/16/06

とは?1(班田条里制1)

日本では、田を鋤いて耕(たがや)す(田を返す・・土を裏返す)のが「耕」の意味ですが、本来の漢字の意味・・中国では、「田を返す」までの意味ではなく、田を梳いて整然とした筋・条をつける意味であるのは、日本と中国(黄河流域)の農業の違いかもしれません。
ついでに、律令体制と条里制がセットになっているのは、中国の農地の形式からきたものではないでしょうか?
班田収受の「班」は、玉を刀ですっぱりと切り分ける意味の漢字で、班田とは一つの田を分割する意味となります。
こういうことが可能なのは、黄河流域では畑作農業だったからでしょう。
同じく畑作社会であった西洋では、「一うねごとに小作人の耕作地が決まっていた」とさえ言われるように、畠の場合は切り分けが簡単です。
ついでに言いますと、フランスのレストランでは、テーブルごとに担当の給仕が決まっているのも、その名残かもしれません。
ところが、日本の農地は、04/14/04「戦後の農業政策1(自作農創設特別措置法と土地改良法1)」等の連載で紹介しましたが、この法律による大規模農法の導入までは、(と言うことはつい近年まで)農地は曲がりくねった畦に囲まれた小さな農地が多かったのです。
棚田は、その名残です。
日本では、漢字の伝わったころから殆どが水稲農業でしたが、当時の水田は、谷間の曲がりくねった小さな水田・・・・谷津田、あるいは、小川の曲がりくねったところに出来た一寸した沼地や湿地帯を利用して作った原始的水田が中心の時代です。
どの程度の規模の川の水を利用していたのかについて、08/15/05「気象台から気象庁へ(治山治水の必要性1)」のコラムで書き始めたところで、話が横に行っていますが、そのうちその続きに復帰します。
そこでのテーマは、大きな平野部で大きな川から直接水を引いて水田を営めるようになるのは、土木技術の発展の順序から言って、ずっと後のことだったと言う趣旨でした。
当時圧倒的に多かった曲がりくねった小さな水田を、班田(切り分け)するなど不可能ですから、律令体制コール班田収授法であると言う説明自体、おかしなことではないでしょうか?
(たまに分割出来る大きな水田も有ったでしょうが、この議論は対象農地の大半がどうであったかの話です)
これは、単語の問題ではなく、班田収授法と言う法体制の問題ですから、そもそも日本では不可能な制度を導入していたのではないかという疑問です。



関連ページリンク

Powered by msearch
稲垣法律事務所:コラム:検索

検索ベースはこちらから

 


コラムTOP

リンクを当コラムにはられる方はお読み下さい

©2002, 2003, 2004, 2005, 2006 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design / Maintained by Pear Computing LLC



ブログ
株式投資