01/15/06
しかし、個々人が木の生えた林などの開墾など出来るものでは有りませんから、これを組織し(集団化し)、開墾従事期間中食べさせることの出来るもの(資本)・・今の言葉で言う所の豪族の存在を前提としていたのです。
日本の開墾は芝生や草むらを耕すのではなく、今でも放置して10年もすれば何らかの雑木が生えてくる自然環境です。
だれも植えなくとも、小鳥が種の混じった糞をするからです。
一回も耕したことのない原生林を開墾するのは、大変な労力が要ったでしょうし、(木の根っこを取り除くのが、大変なのです)やっと水田が出来上がっても、直ぐに作物が出来るわけでは有りません。
畠の場合は、少しでも空き地を作れば、さしあたりそこに豆でも黍でも植え付けながらじわじわと広げていき、或いは、畠の中に残った木の株を、そのうち取り除けば良いでしょう。
まさに、漢民族がじわじわと生活域を広げたのと同じです。
水田の場合は、開墾を始めても完成形にしないとやり難い(水が洩れてしまいます)のと、水利用の関係で、一定規模のまとまった開発と一斉に順次水を流す必要もあるでしょうから、少しづつ使えるところから、使っていくというわけには行きません。
この点でも漢民族の灌漑による畠の開墾とは、大分様相が違っていたでしょう。
畠の灌漑は、以前にも書きましたが、水路が近くにあればいいのであって、一つ一つの畠まで来ている必要がないのです。
「株を守る」中国の故事と、これを受けた日本の童謡「待ちぼうけ」(北原白秋作詞・山田耕筰作曲)の世界です。
デートの待ちぼうけ(おみくじの 「待ち人来たらず 」)では、有りません。
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