01/15/06
日本の律令制の帰趨に話しを戻しましょう。
前々回のコラムまで書いているように、大宝律令制定のころには、公地の配給制を維持する実質が失われていた結果、これの修正のために三世一身法の成立となったものです。
ところが、これもわずか20年で、次の法に変わります。
20年後(743年)に施行された墾田永年私財法には
「三世一身法では、期限が到来すれば収公してしまうので、農民は怠けて墾田を行わない」
と記載されているそうですが、三世一身法が20年間有効に機能していたのではなく、初めからうまくいかず、20年やってみたものの、どうにもならなかったということでしょう。
こうして、743年に墾田永年私財法が施行されます。ただし、後に法と律、格の違いのコラムで書きますが、この当時本当に三世一身「法」、墾田永年私財「法」と呼ばれていたのかについては、疑問があります。
明治以降の学者が、現在の用法で、「・・・法」と翻訳しているだけかもしれません。
「だけ 」と言うのは言い過ぎで、当然その他の資料を総合したのでしょうが、当時の律令体制下で、朝廷の決め事を「法」と表現する例はなかったと思うのです。
原典に当たるしかないのですが、肝腎の題名が、「永年」か「永世」かさえ分らないで専門家の間で議論しているようですから、原典そのものに、法か律かの、ずばりの名称がないのでしょう。
私は疑問に思っているだけで、専門家ではないので、これ以上深入りしませんが、古代の名称についても、今の概念を当てはめている例が多いのではないかという疑問です。
こうした考え方は、鎌倉時代や平安時代の物語に、明治時代に形作られた男女のあり方を前提に描いている映画やドラマが多いのは、問題であると言う視点で、02/17/05「時代考証と男女心理描写
」のコラムで書いたことが有ります。
話しを開墾に戻しますと、新田開墾を奨励する、三世一身法などの説明を聞くと、個々の人民が3世代使える期待観で、喜び勇んで新田開発に従事していたような印象を受けます。
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