01/14/06
公地公民制と社会主義思想の相違2(屯田制の目的)漢民族膨張の原型
もうちょっと言えば、前漢時代以来中国は、オアシス・・ステップ国家などを武力占領すると、灌漑技術を武器にして屯田兵方式の植民による領域拡大をしてきた国だったのです。
(今でも人口の域外膨張の傾向があるのは、こうした歴史があるからでしょうか?)
古代地中海世界では、植民都市を建設するのは、商人の基地建設が目的で、農地開発や人口増殖が目的ではなかったのです。
(支店網・・補給基地確保の発想で、これは近代の英蘭の世界進出でも同じでした)
中国の進出した西域のオアシス国家は、少しの食料しか作れないから少しの人口しか養えず、ひいては少しの兵しかいなかったのです。
ステップやオアシスを占拠した漢帝国の場合、占領軍を養うに足る食料が元々足りないところですから、支店を設けても、これの防衛に足る漢の大軍がそのまま駐留できません。
李広利以来、西域への支配を及ぼした漢の武帝は、占拠したオアシス国家の駐留軍の兵糧補給に頭を悩ましたでしょう。オアシスの人口以上の大軍を持って攻撃し、そのまま駐留し続けるには、古代の食糧輸送事情から考えても、当地での食糧増産しか考えられなかったでしょう。
もしも、当地で生産出来る食料の範囲の駐留軍であれば、元通りの小規模ですから、またもや匈奴からの攻撃で、匈奴・突厥などの支配下に戻ってしまうはずです。
12/27/05「民族の消長4(生活手段の相違と棲み分け3)(漢民族の場合2)」のコラムで、楼蘭王国の例でも紹介しましたが、沙漠に埋もれた中国による灌漑施設の跡が残っているのは、そのせいです。
この食糧の自給のためには、持ち前の灌漑技術で、自前で兵を養う屯田制しかなかったのが、地中海世界の植民地との違いでしょう。
こうして、中国の世界進出は、いつも人口増(華僑)を伴うことになって行く習慣が作られたのです。
(他民族からは、漢民族と言われる語源でしょう)
このように、屯田兵制は、中国の伝統的オハコ芸であったこと、国策から始っていることが分かります。
中国の公地公民制は、分配のやり直し・・再配分と言う近代の社会主義思想に基づくのではなく、屯田制の思想に基づくものですから、もともとの目的が違ったのです。
日本の屯田兵制は、ロシアからの北辺の防護をかねた北海道開拓で始まったのですが、その本質が分かろうというものです。
ついでに書いておきますと、わが国でも北海道の屯田制は水田(女性)向きではなく畠、すなわち男性向きの労働作業になっていることにも注意すべきでしょう。
屯田制は男ばかりでもやれる農業向きなのです。
屯田兵に基礎を置く土地の供給は、直接的に国家のために兵に土地を割当てるものであって、農民に農地を供給する目的ではなかったのです。
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