01/13/06

律令制崩壊2と荘園農民逃散5)

奈良時代に話を戻しますと、当時の農業従事者は、今のように分業化していない時代ですので、兵士も農民からの徴兵ですし、農民とはいわなかったでしょう・・下層労働者=百姓というようになったのは、もうちょっと後中世以降ではないでしょうか?
当時の農業従事者は、今の工場労働者同様に豪族に雇われた労働者だったので、労働条件が悪いと簡単に逃散してしまったので、これが原因で荘園が倒産してしまったこともいくらもある言われます。
領地とか荘園と言っても、人がいてこそ意味があるのであって、土地だけあっても仕方がないのです。
逃散と言えば、いかにも難民みたいですが、今でいえば転職でしかなかったのです。
もちろん、逃げていけばいくらでも受け入れてくれる荘園・豪族がいたことが、前提です。
戦国末期から江戸初めのころの加賀だったか能登だったかの農民の一村逃散では、そこで発達していた塩田技術が欲しくって、越後のほうで引き抜いたとも伝えられているくらいですから、今の企業競争同様に人材引き抜き競争もあったのです。
一方で農民に逃散をされると、国司の方は税を取れなくなってしまうので、朝廷のほうは、参ってしまったのです。
逃げていった先きの国司は、元の国に戻す権利と義務をもっていたのですが、(それを担保するために?逃げ込んだ先の国司はその農民から税を取れない仕組みでした)それをしたからと言って自分の国の税が増えるわけでもないので、ついそのままとなってしまいました。
今で言うと、外国人の不法就労の摘発業務ですが、相手は外国人では有りませんから、つい摘発が甘くなっていたのです。
それに、逃げて来た公民を匿って働かせている自分の任国の荘園主・豪族・・・・・中央の権門貴族です・・・・と悶着を起こしたくもなかったでしょう。



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