01/11/06
逃散・一揆の権を認めるということは、今で言う所の労働者の争議権が認められていたと言えるでしょう。
労働者の権利については、憲法で戦後保障され、これが労働組合法で具体化されていることについては、ご承知のとおりです。
ついでに憲法を見ておきましょう。
憲法
第28条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。
労働者は、個々で雇い主と交渉するのでは弱いので、先ず団結すること自体が禁止されたのでは、労使の対等な話し合いができません。
江戸時代の農民も、年貢引き下げ交渉などは個人での交渉では弱いので、部落みんなで団結して(ときには近隣の部落の連合体を構成して)交渉して、最後は一揆などに発展していくものでした。
この憲法の規定によって、団結する権利が認められ、さらに個々人の交渉でなく、団体での交渉権も認められました。
さらに、団体で行動する権利・・・ストライキ・・争議行為もみとめられましたので、争議行為は、業務妨害罪の構成要件に形式的には該当しますが正当業務行為として違法性が阻却されるという解釈になるのです。
憲法以前は、
[労働者の主張は分かるが、工場を占拠したり建物にビラを貼ったり違法なことまでは許されない]
と言うもっともらしい国民感情に訴えて弾圧していたのです。
(工場占拠などは、それまでは刑法の対象だったのです。)
そう言われば、労働運動に理解のある人でも
「そうだなあ!他人の家まで占拠するのは、やり過ぎだよなあ!」
「自分が嫌ならやめればいいのであって、何故他人が働くのまで妨害するの?」
と言う気持ちになるのです。
(これが弾圧の根拠になるのです。)
これがが憲法が変わった途端に、占拠は違法でなく、これを排除しようとする方が違法と評価されるようになり、スト破りをしたなどといえば悪人のように思われる時代が来たのです。
何が違法になるのかは、時の政治(法律)で決まるのですから、政治に中立と言うものはありえないということが、この憲法の規定で分かるでしょう。
兎も角この憲法によって、正当な団結、交渉を旧来の刑法的観点から弾圧したり、妨害するほうが違法と評価されることになったのですから、180度の転回でした。
天皇制の価値観から国民主権への転換と言っても、或いは、全体主義思想から個人主義へと言っても、それは権力構造がそのように変わったと言うだけで、個人個人にとっては自分が一番大事だということくらいは、昔から知っていました。
「天皇・・君主のために一命を惜しまず・・」とセリフには、その前提として、「自分の命はもっとも大切だが・・」という思想があるのです。
戦前には、嫌なら辞めればいいだろうとか、(逃散の思想です)言うのが普通で、江戸時代には、逃げる自由もなかったのです。
今でも家賃が高いなら出て行けばいいという人が大半で、大家と値下げ交渉してみようかと言う人の方が少ないでしょう。
労働条件が折り合わないからと、職場=雇い主の家を占拠しても良い等の思想は、殆ど誰も考えてもいなかったことでしょう。
この労働争議に関する戦後の価値観の転換ほど、いきなり上下逆になった制度変更は滅多にないのではないでしょうか。
刑法も見ておきましょうか。
刑法
第三十五条 法令又は正当な業務による行為は、罰しない。
正当業務行為、正当防衛など違法性阻却事由については、07/30/04「現在の免許とは1(医師免許・医師法1)(刑法12)」のコラムで少しばかり説明しています。
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