01/05/06

大宝律令とその実際3(豪族衰退国有化

白村江の戦前には、諸豪族による開拓ブームがあって、その後一種のバブル崩壊状態だったらしく、この経済失政が朝鮮半島への進出圧力にもなったとも想像されています。
普通の国の場合、対外戦で負けると国王の地位が低下するのですが、日本の場合、不思議なことに敗戦の結果、朝廷よりも地方豪族の地位低下の方が著しかったとも言われる理由がそこにあるのです。
白村江の敗戦では、朝廷よりも諸豪族の方が弱体化したのです。
大宝律令成立時には、既に分配するべき農地がなくなっていた筈なのに、なお数十年実行できたと言われる理由もそこにあるのです。
平成のバブル崩壊後に、経営不振になった銀行の多くに公的資金が注入され、事実上の銀行国有化になったと言われましたが、班田収授法は、その逆張りです。
経済的に行き詰まった豪族から農地の分配権を取り上げて(救済です)国家の名で管理し(平成バブル崩壊とは逆に、このときは事実上の国有化でなく名目上国有化です)、これで国が配給し直したことにしていた可能性を私は考えるのです。
実際は従来どおり豪族が仕切るのですが、今後はオーナーとしてではなく、国の役人として郡司と言う官名が与えられていたことを皆さんもご存知でしょう。
この郡司(豪族)が実際の管理するのですから、正確ではないかも知れませんが、比ゆ的に言えば名目だけ国有化したといえるのです。
(これが、後に荘園の「復活」につながるのだと私は考えています。)
名目だけでなく、実質上も全面的に国家所有にして、全員が口分田を頭割りで貰っていたとすれば、みんな砂粒のような農民と官僚ばかりで、後に開墾に従事する豪族自体が消滅していたことになります。
ところが実際には豪族が健在で、後に紹介する三世一身法や墾田永年私財法によって、開墾するべき豪族として蘇り、荘園の復活となっていくのです。
後の平安時代に荘園の寄進をしても、本当の地主は厳しい租税を逃れるために中央の貴族に名前を貸しただけで、実際の耕作権を手放さなかったと言われます。



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