01/02/06
神前の鈴の話の戻しますと、鈴が一般化すると、ちょっと前まで、どこの家にもあった玄関や
木戸口にぶら下げたチリンチリンの鈴に発展し、現在の玄関ブザーや門扉のカメラつきインターホ
ンに発展したと思われます。
神様も産業革命?発展に寄与しているのですから、文化の歴史を馬鹿にするものではありませ
ん。
ところで、ブザー・呼び鈴などは、門番・受付がいない庶民の家の知恵ですが、小泉総理や高貴
な方々がどこかを訪問すると言えば、相手が玄関まで出迎えるのが普通ですから、ブザーを押し
たり鈴を鳴らす必要がありません。
(賽銭箱も、その他大勢の無名人のために一緒くたにしたもので、偉い人には要らないのです)
靖国神社でも神主さんが予めお迎えしてくれるでしょうし、そのうえ内殿まで通してくれて、神主さ
んが個別に神様に奉告してくれる筈ですから、(我々その他大勢とは違うのです)こうした人々が、
鈴を鳴らしたり拍手するのは間違いでしょう。
昨年秋に、私人としておまいりしたという時の報道では、庶民並に、拍手し、鈴を鳴らしていたの
は、 まさにそのとおりの実践でした。
ただし、迎える方にとって、呼び鈴の要不要の基準 は訪問者が貴人であるかどうかが重要ですか
ら、私的行事であるから拍手し鈴を鳴らすと言うの は、形式に過ぎるでしょう。 仮に私の家に誰か偉い人・あるいは大事な人が私的に、或いは秘密に訪問することになったとし
ても、(そんなことは100%有り得ませんが、例えばの話です)私的だから、呼び鈴がなるまで、門を
閉めたままでいいだろうとは考えないでしょう。
ですから、私的参拝だからと言って、拍手(かしわで)したり、賽銭箱にお金を入れるのは国民を
欺くためのパフォーマンスのようで、おかしいのです。
私的であろうと公的であろうと、一人の人間が行動すれば、自分の意思表示として評価されるのは
同じです。
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