01/30/05

立証責任の転換2(刑法25)罪体と主観的要素

いつのまにか、保釈の問題になってしまいましたが、01/18/05「故意・過失責任の原則(刑法22)(意思主義)」のコラムで紹介した、結果責任を問いたいと言う国民の常識は時代遅れ、または先進国として恥ずかしいものなのでしょうか?
我が国の刑事手続きを合理化するには、01/18/05「自賠法(立証責任の転換1)刑法23」のコラムで少し触れましたが、主張、立証責任の転換をすればいいのです。
刑事処罰は客観的行為については検察に立証責任があるとしても、故意過失の有無については被告人のほうに主張および立証責任があるとすれば、よいのではないかと思っています。
誰が盗んだか、誰が車で轢いたか、ナイフで胸を刺したのかどうかと言う客観的外形事実は、(法学用語かどうか知りませんが、これを実務上「罪体」と言います。)検察で立証すべきですが、そのとき故意や過失がなかったという主観面は被告側の主張・立証責任でよいのです。
そうすれば、事実上結果責任に近くになりますが、一応近代の合理主義、意思責任の原則の基準も満たせると言うわけです。
またもや、素人の無責任な提案と言うべきでしょうか?
ただし、故意無過失の立証責任の転換が、行為時の責任無能力の立証責任にまで自動的に及ぶか、または及ぼすべきかは問題です。

刑法を見ましょう。

第三十九条 心神喪失者の行為は、罰しない。
2 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。

条文を見ると今でも主張立証責任は被告人側にあるような書き方ですが、実際は弁護側が主張し、鑑定申請も弁護側からしていますが、立証までしているかどうかあやふやです。
鑑定人の選定からして裁判所主導ですし、鑑定自体にも弁護人は関与しませんし、鑑定が出来てもどちらかと言うと不利な内容の場合弾劾的に行動するのが中心で、積極的に立証している印象が乏しいのです。
責任能力が犯罪の成立要件であれば、犯罪成立の有無は検察の立証責任になるわけですが、犯罪成立の阻却事由でしかないとすれば、責任能力まで証明しなくとも一旦は成立を証明できたことになるでしょう。
そうなると阻却事由は弁護側の立証責任ですが、私は長年成立要件と思っていましたので、条文の書き方にかかわらず、今は検察の立証責任(責任能力の立証)であるとしておきましょう。(本は事務所に有りますので見ないで書くのが、このコラムですからあしからず。)
多分成立要件説は通説でしょうが、通説もその一方で責任阻却事由と書いている事が多く、立証責任から考えると私のような凡人には趣旨不明になるのです。
刑法学者は、立証責任まで書かなくて良いので乱暴な(失礼な)いい方をすれば、条文にあわせてぬえ的な書き方になっているのかも知れません。



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