01/24/05
価値観の共有する社会2
価値観の共有が有るから阿吽の呼吸で分ると言っても、経済行為については進歩が早くかなり技術的なうえに国際交渉時代ですから、これは、まさに誰でもアクセスすることが出来るような透明性が要求されますので、法治国家、法の支配が要請される点は、わが国でも同様です。
こうしてみると、わが国の法治国家、法の支配、罪刑法定主義の運用面での特殊性は、刑事分野に限られることになるのでしょう。
ところで、同質国家に関しては、10/03/03「地方自治とは(憲法39)」のコラムでも少し書きましたが、アメリカ合衆国だけでなく世界中殆どが異民族混在社会なのです。
小さな国は別として、世界中の殆どの国が、多民族社会で価値観も多様な国民で成り立っていて、世界展開している大きな国ではわが国だけが(昔に遡れば多民族ですが)同質化した価値観で動いている国のような気がします。
生活様式に始って、世界中でわが国はかなり独自性のある社会ですが、これがこれからも維持できるのかどうか興味のあるところです。
中国は都市の成り立ちから建物の居住形態その他、結構西洋と似ているのです。
むしろ西洋か東洋かと言う違いよりも、海洋国家か大陸国家かの違いの方が大きいように思います。
幸い、日本は世界国家になりつつあって漫画に始って文化輸出のできる国、輸入される時代がきたので、特異な国として孤立するのではなく、却って独自性を売り物に世界中に発信していける国になるだけかもしれません。
そうなれば嬉しいですが、その基本・裏打ちは矢張り経済力なのでしょうから、トヨタなど経済戦士に頑張って欲しいものです。
こうして文化には非関税障壁ならぬ、バリアーがあって、判例を西洋の価値観で研究してもなかなか理論的基準を見出すのが難しい社会です。
(1月17日・・1「事実の錯誤、法律の錯誤2(刑法21)服部君の場合」のコラムで紹介したモマとムジナの両判決の結果の違いが理屈だけで分りますか?)
いつでも、どの分野でも国是は和魂洋才ですから、外人が理解するには、分析ではなく和魂すなわち日本に同化しなければ無理かもしれません。
西洋の学問は分析して結果を出すのが好きですが、それも本当はわが国の学問方法ではありません。
同化してしまえば、1流の学校で日本学を学ばなくとも、何となく気持ちが分るようになるのです。
国際化がいくら進んでも、刑事に関しては民族が違う以上は、文化障壁があるのは仕方ないこととすべきでしょう。
一国2制度と言う言い方が有りますが、刑事に関しては一国内でもそれぞれの民族ごとに裁判所を持つことが望ましいと言う意見を、01/19/05「陪審・・・民族別裁判所の提言と日本の陪審の必要性?」のコラムで紹介しました。
インドの裁判システムとして、「ヒンづう教徒にはひんづう教の、回教徒には回教の戒律に基づいた裁判が行われる」とずっと昔判例時報の論文で読んだことがあります。
これからは、アメリカでもアングロサクソン系アメリカ人が回教の戒律に基づく裁判官や陪審員になるのでなく、アラブ系人が回教に基づく裁判所を構成するべきだと言う時代が来るでしょう。
この意味でも、将来多数の外人の移民を認めれば、日本も意思疎通がややこしく、コストのかかる社会になってきます。
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