01/23/05

「法治国家5」 (ルールはプレイヤーが守るもの)

これまで書いて来たように、わが国では、法は飽くまで「国民に従わせるべき基準」或いは、ある「集団構成員が自主的に守るべき基準」であって、政府を拘束する機能は「政府は自分できめた以上(集団のリーダーは模範であるべきと言う理念)は、政府も守らなければならないというその裏返し、反射的効力」でしかないのです。
サッカーや野球、テニス、将棋全てのルールは、先ずプレイヤー自身が守るべきものであって、審判を従わせるためのものではありません。
プレイヤーの守るべきルールが出来ると、それの判定者が必要になって審判や裁判システムその強制力とし警察が出来たのです。
その結果、審判や国家は、ルールに従って判定しなければならないと言う反射効を受けるだけです。
「反射的効力」については、判例によく出てくる概念ですから、私が勝手に創作したいいかげんな言葉ではなく、学問的に確立した?概念です。
そのうち関連のコラムで繰り返し出てきますので、順次読んでくだされば、おのづから分ってくるでしょう。
法の存在価値について君権制限、人権保障機能が正面に来る西洋の発想は、審判が信用出来ない事を理由に審判を縛るのが目的だと言うのですから、ルールと言うものの性質から言って倒錯した思考・イレギュラーであり、恥ずかしいことではないでしょうか?
(少なくとも、自慢するような話ではありません。)
とか何とか言っちゃって、いつでも私は「わが国の伝統・習慣が素晴らしい」と言いたがる愛国心の塊で出来ているのかも知れません。
ともかく、わが国の法は審判や君主を縛るためにあるのではなく、構成員(プレイヤー)を従わせるため或いは構成員が自ら守るため(たとえば手形の発達や商慣習がそうです)に発達してきた歴史しかないのですから、その歴史を受け継ぐ裁判所(審判)が正邪を裁くにあたっては、
「こんな言い訳を許していたのでは、ずるい奴が罪を免れてしまう恐れがある。」
と言う心配が先に来ることになりがちです。
ところで、民法は、西洋法・すなわちローマ法に淵源のあるナポレオン法典を継受した点は、(11/07/02「自然人 (民法3) 2」前後のコラムで、民法制定のいきさつについては、06/04/03「民法制定当時の事情(民法典論争1)」以下のこらむで少し紹介しました。



関連ページリンク

Powered by msearch
稲垣法律事務所:コラム:検索

検索ベースはこちらから

稲垣法律事務所コラム内:刑法に関するコラム
関連ページリンク稲垣法律事務所コラム内:社会の高度化、教育に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:地方に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:明治に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:結婚、婚姻に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:憲法に関するコラム


コラムTOP

リンクを当コラムにはられる方はお読み下さい

©2002, 2003, 2004, 2005, 2006 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design / Maintained by Pear Computing LLC



ブログ
株式投資