01/22/05

「法治国家4」 法律は君権制限のため?

法治国家1以下のコラムで書いて来たように、法律制定の必要性があった点は、どこの社会、集団でも同じですが、必要とする趣旨が西洋(と言っても英米・フランスだけか?)では、裁判が、国家権力に対する抵抗の基礎として発達したと言われているのに対し、わが国では処罰の合理化として発達した歴史の違いがあるだけです。
或いは、西洋でも日本同様の必要性から発達したものでしょうが、西洋では為政者のレベルが低く、自制心がなく王権が無茶をやったので、人民の権利を守るため次第に王権の制限に向かったのですが、それでも追いつかず、その後革命にまで発展したものです。
王様の低レベルさと言えば、ローマ法王と喧嘩してイギリス国教会を設立したヘンリ8世が特に有名ですが、その他も似たり寄ったりで現在に至っているのです。
自制心の塊みたいな日本の皇太子やその兄弟と英国の皇太子ダイアナ妃との抗争やその息子の行状・・・ナチスのマークで騒がせています・・・を比較すれば分るでしょう。
法と言うものはどんな社会集団でも必要なのですが、この王権制限の過程で、制限の道具として法が利用された社会と、わが国のように賢明にも為政者が積極的に発布した場合の違いがあるだけでしょう。
こうして、西洋では、王様のレベルが低かったせいで、人民から要求されて国王が署名させられた(マグナカルタ)ために君権制限、人権保障機能を正面から意識されるようになったに過ぎません。
西洋では法の存在目的が人権保障機能に変わったのですが、わが国の為政者はみんな真面目でしたから、明治維新まで、(或いはその後も)君権制限の法理が発達しなかっただけです。
明治維新のときでも為政者のほうが、「1億蒼生如何せん」と夜中までまんじりともせず考え込む社会でした。
わが国では、レベルの低い政府のために国民がひどい目に遭ったこともないのですから、政府の行為を制限するために法律を作るという発想にならないのは仕方がありません。
何か困難があればお上に訴えれば、何とかしてくれると期待している幸せな国民です。
お上が信用できないから法や憲法で縛ろうとうよりも、むしろ「お上」が睡眠時間も削って一生懸命に民のために考えているのに、法網を潜ろうとする不届き者を処罰しなければならないという意識の方が、強い社会なのです。
戦後社会でいえば、官僚は私心なく頑張っているが、政治家は利権で動くので信用できないと言う意識も同じ心象風景でしょうか?
私心があろうがなかろうが、神の見えざる手によって、すなわち市場のニーズによって製品開発や制度が変わっていくべきという時代がきて、ここのところ官僚主導政治の評判は悪いですが、これは、政策決定権がどこにあるべきかの問題であって、政府・官僚を信頼出来ないから法で制限すべきだと言うことにはならないでしょう。



関連ページリンク

Powered by msearch
稲垣法律事務所:コラム:検索

検索ベースはこちらから

稲垣法律事務所コラム内:刑法に関するコラム
関連ページリンク稲垣法律事務所コラム内:社会の高度化、教育に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:地方に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:明治に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:結婚、婚姻に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:憲法に関するコラム


コラムTOP

リンクを当コラムにはられる方はお読み下さい

©2002, 2003, 2004, 2005, 2006 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design / Maintained by Pear Computing LLC



ブログ
株式投資