01/20/5
法治国家2(法の支配)と人権保障(憲法100)
これまでの法治国家・法の支配論は、「権力から国民の人権を守る」と言うイデオロギー線上の議論が多かったように思います。
イギリス法学者がイギリス法を賛美してやまず、ドイツ法学者がドイツ法を賛美するようにそれぞれ自分の専攻する分野を賛美したがるものです。
或いは自分の留学した国が、如何に立派かを言いたがる傾向があります。
せっかく留学までして習ってきた「法の支配」(ルール、オブ、ザロー)を、お経のように有りがたがるだけではパッとしませんから、「人権保障のとりで」とか大袈裟に言っているだけかもしれません。
ルールと言うものは、人権保障の砦とか大袈裟なものではなくとも、取引に始って将棋でも碁でも野球・サッカーでも、何事でも一定のルールが自然発生的に生れるものです。
法は、人権保障の機能も果たしたかもしれませんが、本来の法律と言うのは暗黙のルールではどうにもならない規模、すなわち価値観を共有しない集まり・集団が発生してきて、交通整理のために必要があって発生したのではないでしょうか?
「法」と言う翻訳語はよく出来ていると思いますが、元はといえばご存知のように「仏法僧」の一つの「法」のことです。
人間集団が出来てきて、人間の生き方や人間関係が問題になってきた原始社会(と言っては失礼かな?)または古代社会で大雑把なルールが必要になって、各地のマイナーな宗教発生から現在の世界宗教が発展したのでしょう。
モーゼの十戒に始って、宗教は「法」が基本です。
社会生活の発展によって、そんな「人の生き方」みたいな大雑把な基本の応用では間に合わなくなって、中世以来(わが国では御成敗式目など)現在の法の先祖が生れ、これが発展して大量生産され、技術的なものになっているに過ぎません。
いまや民事の揉め事を「法」の本家である高僧に相談するよりも、弁護士に聞いた方が物ごとがわかりやすいし、現に僧侶が私のところに離婚や契約の揉め事の相談に来る時代です。
価値観の共有する日本でも、民事・商事に関しては技術的且つ複雑ですので、お経や聖書を勉強しただけでは分りません。
阿吽の呼吸・国民意識という漠然としたものでは、混乱しますし、裁判になっても裁き切れないでしょう。
こうした場面では、日本でも法律で予めルールを決めなければならないし、理論も緻密で、まさに法そのものだけをよりどころにして裁判が行われています。
また判例法の国と言われる(要するに法理論が発達していないだけと言う考えもあります。)米英と言えども、民商法では判例の集積に頼るのではやっていけなくて、成文法をどしどし制定していることと、民事に関しては陪審制は殆ど機能していないのを想起してもいいでしょう。
こうしていろんな分野でルールが制定され、それに則って行動する時代になりますと、その裏返しとして、審判、レフリーからルール違反をしていないのに、反則として減点されることはないという裏返しの効果が生じるのは当然です。
「法の支配」の人権保障機能と言うのは、ただこれだけのことではないでしょうか?
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