01/19/05

陪審・・・民族別裁判所の提言と日本の陪審の必要性?

同輩の裁判を保障する陪審の理念を追求していくと、黒人の事件は黒人が裁く、人種・民族別裁判所が必要な時代が来るかも知れません。
勿論人種や民族を厳密に決める方法はありませんから、いろいろな裁判所を用意して被告人が選べるようにすべきでしょうか?
白人が加害者で黒人が被害者、そのまた逆の場合などは条約でも結んでどちらに裁判権があるとかあるいは両方で裁判して結論の違いを調整する機関を設置する社会になるべきでしょうか?
勿論黒人に限らず、アジア人同士とかもっと細かくは、日本、中国、韓国、タイなどの出身別の裁判所にするとかややこしい社会になりそうです。
「異民族に裁かれるくらいなら、土方でも運転手でもバーのホステス、ヤクザだろうが自国民に裁かれた方がましだ」という気持ちが分りますが、自国民同士が裁く裁判になれば、裁く人の人格がどうでもいいのでなく、仲間同士の中で人望のある人に委ねたくなるのが普通です。
これが時間の経過で、専門化して裁判官や弁護士に職業化したのです。
こうして考えてみると、陪審制度が民主主義の基本のように言う人たちに冷水を浴びせることになりますが、ある制度と言うのは「ある状況下で生れた」に過ぎないのですから、時と所を越えて、金科玉条のように有り難がるべきではありません。
わが国の場合はどうなのでしょうか?
わが国はこれまで書いて来たように価値観の共通した社会で、支配人種・被支配人種と言う色分けはありません。
裁判官や検察官、弁護士などの法曹は、大多数の国では、いわゆる支配層に属する者が占める職業ですが、わが国に関しては、これもいわゆる同輩出身です。
(現在は弁護士や裁判官、検事も庶民出身者が多いのです。法科大学院制度によってこれから変質していくだろうと思いますが、それは06/19/03「司法修習制度と法科大学院 1」以下の連続コラムで論じていますので参照してください。)
異民族・支配層出身者が法律家であるから、庶民が信用しないと言う民族構成ではないのです。
むしろ、同輩中の信用できる人材が支配層に上がってくる社会ですから、陪審制を例えて言えば、
  「せっかく人望のある人が裁判官に選ばれているのに、人望のないものが俺を裁くのは納得できない」
  「音楽でも絵でもスポーツでも、下手な素人がコンクールの審査員になれるの?劣等性が優等生を審査するの?」という疑問が生じます。
西洋のように異民族が構成する支配層が作った「政府に対する懐疑心」が充満する社会ではなく、自分たち庶民同士の話合いがつかないときに、
   「お上が言うことなら信用する。」
   「お上にお任せしたい」
という人が多いのですが、(裁判上の和解をこの後に説明しますが、)弁護士同士の意見ではなっとく出来ないが、裁判官の勧告ならすぐ納得する人が多いのも同じ心理でしょう。
わが国での陪審の問題点としてよく言われることに、
   「1段高い裁判官による判決ならなっとく出来るが、その辺の労務者などが陪審員として決める判決  では、簡単に承服出来ない」
のではないかと言う、わが国特有の心配があるのは、こうした土壌にあるのです。
   「お上(政府)はすなわち、お神(かみさま)」
であって、「自分たちの選んだ信用できる人がその地位についているから、その人たちに任せたい」と言う社会が日本ではないでしょうか?
異民族支配のない日本では、既に国民全体が陪審員になったような気分で裁判の結果を監視している社会なのですから、裁判所は理屈だけでなく結果の妥当性を監視されているのです。
「異民族のエリートよりも自国民・同一民族なら誰でも良い・・・」と言う陪審制は「食べ物なら何でも良い、寝られればどんな家でもいい」と言うのと同じ類の「最低の制度」でしかないのですから、これを有り難がって真似する必要はないでしょう。



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