01/19/05

価値観の共通する社会と裁判(陪審の土壌)1

ある種の結果責任を求める日本国民にとっては、アメリカの服部君事件では、「間違いとは言っても、人が死んでいるのに無罪?」という「結果」に釈然としない国民が多い原因でしょう。
わが国では、理論の積み重ねで結論を出すのではなく、長年同一価値観ではぐくまれた伝統から大きな事件があると暗黙裡に「こういう結果になるべきだ」と言う共通意識が形成されます。
ちなみに私は単一民族、同一民族と言う考えではありませんが、何千年の長い間に狭い島国、昔はここから先は太平洋でこれ以上先はない、行きどまりという地理的状況から互いに折あっているうちに、混然同一価値観になってきたと言う考えです。
この考えは、08/28/04「幕末の政治模様5(強圧政治がテロを生む)」外あちこちに書いています。
大事件の認定事実が、事前報道と違った場合は別として、それ(常識)に反した判決は、如何に理論的に一貫していても現実から遊離しているとして非難されますし、裁判官も国民意識に副った判決を書くようになると言えるでしょう。
そうなると緻密な刑法理論や訴訟法の理論があっても、先に結論があって理論は結論にあわせた後追いとなりがちです。
とは言うものの、およそ理論と結論の関係は、常にそういうものかもしれませんが、この点は別の機会に書きましょう。
1月17日・・2「事実の錯誤、法律の錯誤3(刑法22)(特別法の立法方法)」でも書きましたが、裁判所は、理論よりも処罰の必要性で判断しているのではないでしょうか。(勿論私の妄想です)
こんなことがゆるされるのは、価値観の共有している社会であるからこそ、可能であり許されるし、また必要なことなのでしょう。
法理論の発達しなかった後進国、イギリスで同輩による裁判保障が発達した所以です。
・・・今でこそ大英帝国と言いますが、当時はイタリヤ、スペイン、フランスなどに比べて文字とおり野蛮国でした。
理論で説得できない場合、異民族(支配者)による判決では承服しがたいのは洋の東西を問いません。
イギリスで発達した同輩による裁判・・・・すなわち陪審制度をあり難がっている人が多いですが、ノルマンコンクエラーによって征服されたケルト人が、価値観の共通する同輩(同一民族・種族)による裁判の保障を求めたものに過ぎないとも言えるでしょう。



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