01/18/05

自賠法(立証責任の転換1)刑法23

交通事故の民事賠償の分野ですが、自賠法では、昭和30年から運行供用者が無過失の立証責任を負う仕組みです。

自動車損害賠償保障法
昭和30・7・29・法律 97号 
第3条
自己のために自動車を運行の用に供する者は、その運行によって他人の生命又は身体を害したときは、これによって生じた損害を賠償する責めに任じる。
ただし、自己及び運転者が自動車の運行に関し注意を怠らなかったこと、被害者又は運転者以外の第三者に故意又は過失があったこと並びに自動車に構造上の欠陥又は機能の障害がなかったことを証明したときはこの限りでない。

民事では、こうして過失の立証責任の転換を通じて、被害者救済が図られてきましたが、その代わり、結果が行き過ぎにもなるので、過失相殺理論も発達しました。
刑事に関しては、こうした、特別法が出来せんでしたから、これまで、過失があったことは原告である検察側の立証責任でした。
しかし、前回のコラムで紹介したとおり、国民も大方の人は「事故を起こしたら助からない」と思っているようですから、「裁判所が安易に過失認定しているのではないか」と言う私の意見は、独断・偏見とは言い切れないでしょう。
ま、国民や私の感想は、素人(私も素人みたいなものです)の間違った意見であって、個別具体的事件を良く見れば、それぞれ運転手が「こうすれば良かった、ああすればよかった筈」等の過失があって、その厳密な認定をしているというでしょう。
修習生のときに、検察修習で交通事故被疑者の取調べもしましたが、調書のどこかに被疑者の言葉として、「このとき私は・・・すればよかったのですが・・・」と過失を認める文章を作らなければならないことを検事から教えられたものです。
ごもっともな意見ですが、政治その他何事であれこんな言い訳を聞いてたら、プロである官僚に全て丸め込まれる結果となり、官僚天国となり、民主主義が成り立ちません。
個別の細かい言い訳ではなく、国民は実際の結果を見て「裁判所が過失をこじつけて、処罰している」との印象・判断をしているのですから、素人の意見を無視してはいけません。
但し、ここで論じているのは、損害賠償を求める民事ではなく刑事手続きですが、国民からあだ討ち、仕返しする権利を取り上げて、国家が一手に刑罰権を独占した以上は教育刑だけでなく、応報的要素を無視できないのも事実です。
教育刑と応報刑については10/16/04 「刑罰の目的1(応報刑と、教育刑)刑法14」以下1ヶ月ほどの間に書いていますので参照してください。
刑事政策としてみれば、重大な結果(例えば死亡や重大な後遺障害)が生じたと言う事実だけで、被害者に発生する被害感情・・・・・一種の応報感情を満足させる機能を無視できません。
遺族にとって、身内の方によほどの過失(飛び込み事故など)があって、事故は仕方なかったのだと言う場合以外は、(すなわち加害者に過失がなかったと言う場合)原則として何らかの処罰を求めたい感情があって、国家はこれを満足させる必要があるのです。
わが国の礼儀として、相手に怪我させたりすれば、どちらが悪いか議論することなく、先ずは、「ごめんなさい・すみません」と謝罪するのが普通です。
これを法的に見れば、不可抗力とまでも行かなくとも少なくとも加害者による「無過失立証を求める一種の結果責任論」が常識の社会といえるのではないでしょうか?



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