01/18/05

故意・過失責任の原則(刑法22)(意思主義)

1月16日のコラムで紹介した刑法38条条第1項にあるように、故意がなければ原則として処罰できませんが、法律で特別に定めれば、故意がなくともいいことになっています。
但し、この条文で言う「特別の定め」と言うのは、条文で「過失も処罰する」と定めれば、過失でも処罰できると言う意味で定められたものです。
犯罪は原則として故意犯ばかりで、過失まで処罰するのはよほどの場合だけです。
人が死んだとか怪我したなど原始的重要なものばかりで、それ以外は原則として事件にはしません。
過失で泥棒したとか過失で横領したなどの事件を普通は考えられないし、(ある品物をを自分のものと誤解して使ったり、持ち去った場合、過失の窃盗や横領ではなく、そういうのは犯罪にならないのです。)仮に考えられるとしても処罰の必要まではないのです。
但し、法律で特に定めればいいとは言っても「過失がなくとも処罰できる」と言う法律を作ることまでは予想していませんので、そういう法律を作るにはよほどの思想的展開が必要です。
ここ数年、社会的大議論になっているのは、精神障害者の加害行為をどうするかということですが、それでも「無能力者でも処罰せよ」とまでの議論ではなく、せいぜい、処罰しない以上はそれなりの医学的ケアを求めるというに過ぎません。
現代社会は、近代哲学が考えたように何でも意思主体能力で解明し、善悪の判断、ひいては処罰の可否を決めることができる程単純なものではないのです。
最近の経済論議では、銀行のペイオフなどの底流として自己責任論が活発ですが、逆に消費者は自己決定能力がないから、意思能力になんら瑕疵がなくとも保護しようと言うのが一方の流れと言うよりも主流でしょう。
刑事民事の責任論でも、故意または過失が有ったときだけ責任をとるという仕組みでは、被害救済できない事例が増えてきて、民事の分野では、かなりの部分で、無過失責任論(結果責任)が発達してきました。
公害被害者飛行機事故の被害者などが、企業の過失を立証しなければならないとすれば、誰も立証できないでしょう。
この種の事件では、結果が生じたことが重要なのです。
交通事故などの刑事裁判も、表向きは過失責任論でやっていますが、国民の印象では、人身事故を起こしたら、不可抗力以外は、原則として運転手が処罰されるものだと言う認識になっているのではないでしょうか?
要するに、裁判所は、処罰の必要性を満たすために自由心証主義を利用してともかく運転手の過失を擬制して来たと言えるでしょう。(例によって、私の独断偏見です。)
この究極の形が、過失責任も問わないで結果だけで処罰すると言う法律ですが、いまだそこまではいけませんので、過失の立証責任を逆転させる法律の登場です。
そうすれば、裁判所も無理して過失を認定する必要がなくなります。



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