01/15/05

売春防止法2(千葉の場合)

発展段階は地域によって違いますので、千葉の例を紹介しますと、千葉は遅れてきた江戸開府のようで、昭和30年代後半ころから海岸線の埋め立てが本格化しました。
12/01/03「身近な行楽2(豊かな自然と千葉の歴史1)」のコラムでも紹介しましたが、私が高校時代の30年代半ば過ぎに車で東京から千葉に来たときには、まだ、稲毛海岸が、今の国道14号線沿い(道路の端は砂浜でした)にあったのですから、埋め立てはその以後のことです。
その埋立地完成後に石油コンビナートだけでなく各種工場、その他の大工業地帯、公団住宅群形成が始りましたから、(現在のJR京葉線沿線です)昭和40年代を通じて、歓楽街には腹巻に札束をねじ込んだ労務者がうようよしている時代でした。
土地買収や漁業補償で、巨額の現金を手にした人も遊びに来ていました。
そこで東京では、売春防止法によっていわゆる吉原などの遊郭が閉鎖されたと言うのに、千葉の栄町、川崎の堀の内などが昭和40年代になっても労務者の遊び場として・・歓楽街と言う美称で、風俗・事実上の売春業者が隆盛を誇っていたのです。
私が弁護士になったのは、昭和40年代の終わりですから、まだ栄町の発砲事件(これを地盤とする暴力団抗争事件があったのです)などが発生する生々しい時代でした。
売春防止法が出来ても千葉などの現役の町は、仕方ないと言うことで取り締まりも甘かったと思いますが、荒々しい開発が終わり、工場労働者だけになってくると、後進県も次第に取り締まりが厳しくなって来たのが50年代です。
昭和50年半ばころから韓国に始って、台湾、フィリッピン、タイなど順次遠くなりましたが、海外買春ツアーが発達しました。
金のある人は数人連れ立って、その後は社員旅行まで現れました。
そのころは、労務者も殆どが一匹狼の腹巻の労務者でなく、どこそこの工務店の社員と言う組織に組み込まれるようになっていましたので、(少し行儀が良くなりました。)社員旅行として、韓国や、台湾売春ツアーが組まれる時代になったのです。
従軍慰安婦問題や買春ツアーの隆盛など見ると、日本人のみが好色かと思う方が多いと思いますが、そうではなく、近隣諸国ではまだ売春禁止制度がない・受け皿が残っていたというだけの話です。
日本だけが一足早く、禁圧体制が整備されてしまったので、ついていけない男子が残ってしまったことが大きいだけのことでしょう。
ちょうど環境問題が日本だけで厳しくすれば海外へゴミを捨てたり、公害型産業が海外立地して公害を撒き散らすようになるのと同じです。
国内で見ても、東京周辺が厳しければ、千葉、栃木、青森など僻地まで廃棄物を捨てに行くのも同じ原理でしょう。(東京の業者がレベル低いのではありません。)
むつ小川原の原子力廃棄関連施設設置も、反対運動のうるさくないところへと言う同じ文脈です。



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