01/06/04
兵農分離7(内職と兼業農家)
歴史小説でも侍はせいぜい傘張りなどの内職を描く程度で、侍が農業をやる姿はありません。
しかし、傘張りや着物の仕立てその他全て内職と言うものは、多数消費者の存在が前提ですから、江戸のような大都会でしか成り立たない筈です。
江戸以外の田舎の武士を描くのに、何を兼業していたか書かないのは手落ちではないでしょうか。
もしも傘張りや着物仕立てなどの内職と農業の両方が出来る場所があったとしても、内職は、商人の下請けとして卑屈な立場(階層意識のない今でも、どちらを選ぶかと言われれば、内職で貰ったお金で野菜を買うよりも自分で野菜を作れれば作るでしょう。)になるのに対し、自分で野菜を作って食べるほうがずっと誇りを保てたでしょう。
田舎の武士は手じかに農地がある上に、自給するのに野菜や少量の米など作るのが手っ取り早いのですから、田舎の武士がやせ我慢で何も作らなかったとはとても考えられません。
農家同様に味噌醤油を作り、ある程度の機織もして、頑張っていたのではないでしょうか?
何しろ下級武士にとっては、幕末ころには、藩主から貰う扶持米は、中級以下、すなわち大多数の藩士にとっては今の年金程度しかなかったのですから、殆どの収入はそれ以外で賄っていたのです。
08/18/04「教育制度と逸材(御家人の帰属意識・・・・勝海舟の場合」のコラムで紹介しましたが、勝家の40石取りといっても、4公6民ですから年間16石=40俵にしかならず、これでは食うのにやっとで子供をまともに育てられなかった事情を紹介しました。
何石取りまで行かない、何俵何人扶持などに至っては、エンゲル係数100%でもどうかというところでしたから、兼業をしなければ生きていけなかったのです。
既に書いたように、もともと半農半士から始っているのが田舎の武士ですし、国替えでよそから来た大名家、例えば藤沢周平描くところの佐竹藩は、常陸からの国替え大名ですし米沢の上杉などのそうですが、外様大名家では、国替えがあると戦力維持、統治の便宜から地元同化が緊急の課題だったでしょうから、長い間に下級武士と地元農民との婚姻同化が進んでいた筈です。
また譜代大名家でも遠隔地では、おのずから同化が進んでいた点は長岡藩の例で書きました。
このように考えていくと(私は歴史学者ではありませんので、私の立論は全て、フィールドワークのない推論に基づくものに過ぎません。こうしたフィールドワークを専門家にして欲しいなと言う意見です。)田舎の下級武士が、自分で何も作らずにいた事を前提とする時代物の小説の筋は無理があると私は思っています。
田舎の武士も、扶持米だけでは窮乏していたのは江戸の武士と同じですが、浪人だけでなく、れっきとした藩士も食うや食わずだったと言う描写が少ないのです。
その点は、兼業農家をやっていたとすれば、内職よりも有利ですし辻褄が合うのです。
歴史学者に限らず各地の郷土史家は、地元の著名事件の研究だけでなく、こうした具体的な観点(有名人は言うに及ばず、その地の庶民の収入源や日常生活はどうであったかなど)から研究しているのでしょうか?
現在の兼業農家を、3ちゃん農業とか言って馬鹿にしますが、兼業農家の歴史は古いのです。
いきなり国際競争力をつけるために、規模拡大で専業農家ばかりにしようとしても、簡単ではないでしょう。
ま、やりたい人ががやれるように農地法を改正して妨害しないのがせいぜいで、(規制の解除)兼業農家を止めろと言うのは行き過ぎです。
私は、いろんな時代変化に対応できるように農家も多様なあり方がよい、専業の大規模農家があってもいいし、中規模、小規模の兼業農家もある、いろいろな状態が好ましいと思っています。
専門化と言うものは、強制によるものではなく、市場のニーズに待つしかないのです。
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