01/05/04
徒然草3(老人力の時代)
吉田兼好の生きた時代は、短期間に足利尊氏が都を占領したり、逃げ出したりと忙しい時代で、まさに動乱の時代でした。
「このころ都にはやるもの、夜討ち強盗に、にせ綸旨・・・・・」という有名な落首があるほどで、当時はしょっちゅう天下がひっくり返っていたのです。
彼は「つれづれなるままに日暮し硯(すずり)に打ち向かい・・」と書き出していますので、隠遁者のイメージですがが、どうしてどうして、私の弁護士業務のように?忙しく、結構稼いでいたのです。
都の文化人特有の複雑系の知恵者として、気が利くし、文が立つので代筆したり、対立当事者間の使い走りをしたり、当時の有力大名と密接な関係を保っていました。
当時は電話もない時代ですので、使者と言うのは単に伝言するのではなく、腹の据わった交渉力が必要だったのです。
昔の大使・使節の重要性は、06/09/04「国事行為16(憲法74)天皇家の存在意義13(大使公使の変遷1)」のコラムで紹介しました。
話が変わりますが、北朝鮮との交渉について、役人が中心となっているようですが、本当の(連絡役やジム打ち合わせでない)交渉は、今でも役人任せでは、無理ではないでしょうか?
兼好さんからの連想ですが、わが国では特定の家臣ではないそうした独立系「人物」は(中国戦国時代に活躍した諸子百家みたいな・・・)宗教界にしかいなかった可能性があります。
わが国戦国時代末の使者としては、安国寺恵慶が想起されますし、シンクタンクとしての機能では、天海僧正や沢庵和尚なども有名です。
安国寺恵慶は一方当事者の使者ですが、兼好さんは後ろ盾なく弁舌のみで、(口舌の徒として蔑んでいるのではなく、その背後にある人格だけで説得力になったと言う意味です)外交交渉したり代筆したり忙しく働いたのです。
戦国時代に多い開城を求める使者は、強者弱者の差がはっきりしている場合が多いのです。
兼好の生きた太平記の時代は、変転めまぐるしい時代で、どちらが優勢とはっきり決まらない中での交渉ですから、大変だったと思います。
こういう時代には権力に近づきすぎると、京の権力者が変わるたびに首を刎ねられる危険がありますので、よほどのしたたかさだったと思うわけです。
これからの世の中は、アメリカの真似をして「大量生産または大量販売」してれば勝ちみたいな、単純な時代ではありません。
兼好さんの生きたような複雑な時代が到来しているのですから、複雑処理に長けた「老人力の時代」でもあるのです。
話が兼好さんの人生になってしまいましたが、凡人にはそこまでは無理としても、そこそこに「老人力」を発揮出来れば、長生きしても問題がないのです。
人間とは言え、老人力を発揮しないでぼんやりしていると、馬齢を重ねることになって、馬や酉と同じことになってしまいます。
ただし、私は人間だけが偉いと言うのではあリません。
私の家にいた犬(ともえちゃん)は、それはもう思慮深い犬で、ソコツ者の私などよりもずっとしっかりしていたように思いますので、本当は、馬や鳥だって全部が全部、ぼんやり生きてるとは限らないのです。
私の周りでは、定年を過ぎた人が多くなりました。
長生きする時代が来た以上は、今年1年と言わずに、これからずっと心して内容のある生き方をして行く必要があります。
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